スポンサーリンク

ビートルズ雑談④~レット・イット・ビー・ネイキッドからみる次なるビートルズの可能性を検証!~

ビートルズ
[ad#co-2]

「レットイット・ビー」(オリジナル・アルバム)と「レット・イット・ビー・ネイキッド」との違いは?

「レット・イット・ビー・ネイキッド」は2003年に発売されました。
ネイキッドは1970年に発売された「レット・イット・ビー」を
ビートルズが思い描いていた当初のコンセプト通りに編集し直したものです。
当初のコンセプトとは、オーバーダビングをせずにライブ演奏で録音することでした。
ジョン・レノンの言葉を借りれば、絶対に嘘のない「ありのまま=ネイキッド」ということになります。
「レット・イット・ビー・ネイキッド」は、観客のいないライブ音源のようになっています。

ということは、オリジナルの「レット・イット・ビー」は、
このコンセプト通りに創られずに発売されていたことになります。
どうして、このような事態になってしまったのか?
ネイキッドというコンセプトでアルバムを創ることになった経緯を含めて紹介していきます。

そして最終的には、仮にメンバーの人間関係が上手くいっていれば
そのコンセプト通りに名盤を創りだすことができたか?というところまで踏み込んで、
ビートルズが次の段階へと成長し、
さらなるスーパーバンドと成り得たか?という検証もしてみたいと思います。

アルバム「レット・イット・ビー」が「ネイキッド」というコンセプトになった経緯!

1968年11月に発売した通称「ホワイトアルバム」は、
各メンバーの才能が完全に開花した時期に創られたと言ってよく、
また、録音技術の進化によって自分の作った曲を自分だけで録音することを可能にさせました。
結果、以前のような各メンバー間のまとまりがとれなくなり、
ソロ作品の寄せ集めのようなアルバムとなります。

こうした状況にポール・マッカトニーは危機感を覚えます。
ポールは解決策として、スタジオに籠る前の活動状態に戻ることを提案します。
ライブ活動(観客を前にしたコンサート)を行なうことを提案したのです。
その真の意図は、自分たちがバンドとしてまとまりがあった頃に戻る(ゲット・バック)ことでした。
その提案は最終的に、それぞれのメンバー間の意見を取り入れたプロジェクト、
「ゲット・バック・セッション」となって始動します。

「ゲット・バック・セッション」の具体的な内容は、
曲創りの過程を収めたドキュメンタリーと
ライブ・セッションを含めた映像作品をつくることになりました。
ジョージの反対によりライブを行う案は却下され、
代わりにアップルスタジオの屋上で一回のゲリラライブを行うことになりました。

そして、アルバムは、なるべくオーバーダビングをせずに
(一発録りに近い形で)ライブ感あるものを創ることになったのです。
このときに録音された音源は、およそ1年後の1970年5月、
アルバム「レット・イット・ビー」としてリリースされることになります。
ビートルズ各メンバーが仕上がりに納得しなかったため、
リリースを保留にしていたからでした。

どうして、「ネイキッド」のコンセプトは貫かれなかったのか?

大方の録音を終え、発売までになぜ約1年を費やしたかというと・・・。
このときビートルズは、まとまりを失い、
方向性の結論をだすことができなくなっていたということもあり、
このアルバムを満足のいくものにすることができなくなっていたのでした。
この間にビートルズは解散してしまいます。

アルバム「レット・イット・ビー」は、
今までアレンジで多大な貢献をしてきたジョージ・マーチンでなく、
1年間、グリン・ジョンズが編集に携わってきました。
ジョージ・マーチンが、ホワイトアルバム制作時の険悪な録音作業に懲りて、
編集作業を拒否していたためでした。
グリン・ジョンズはネイキッドのコンセプト通りに編集したのですが
1969年5月、1970年1月、の二回に渡って
ビートルズからリリースを保留にされてしまいました。

そして、もうどうでも良くなってしまったジョン・レノンは
ゲット・バック・セッションに全く関係ないフィル・スペクターに編集を依頼します。
(ジョンは9月にビートルズを脱退すると宣言していました。)
フィル・スペクターはネイキッドのコンセプトを守るよりも、良品を創作することを優先します。
そして、グリン・ジョンズの編集版をもとに、
わずか10日で再アレンジされ、リリースされることになったのです。

自分の意思と関係なく、勝手に事が進められたポールは激怒し、
当初のコンセプトが守られていないアルバムに、長らく不満を抱いていました。
そして、ポールの指示のもと、当初のコンセプト通りに編集し直した
「レット・イット・ビー・ネイキッド」が、33年の時を経て完成したというわけです。

[ad#co-2]

アルバム「レット・イット・ビー」が、当初のコンセプト通りに完成され、1969年に発売されていたら?

「レット・イット・ビー・ネイキッド」を聴いた最初の感想は
ライブ感がでていて、オリジナルの「レット・イット・ビー」より断然いい!と思いました。
ただ、よくよく聴き込んでいくと違った感想に至ります。
個々の曲をオリジナルやシングルで既にリリースされていたものと比較してみると
ネイキッドのバージョンの方がいいと思えるのが「ゲット・バック」くらいだと気づくのです。
曲の半分くらいは、どっちでもいいかな?という感想で
半分は、シングルのバージョン、もしくはオリジナルの方がいいのでは?という感想でした。
だからと言って、ネイキッドのバージョンが嫌いなわけではなく
アルバム1枚を通して聴くには、断然、ネイキッドの方がいいと思えるのです。

結局、このアルバムをリリースしてくれたポールには感謝!しかないのですが
話を面白くするために、一つの仮説を立ててみたいと思います。
それは、「レット・イット・ビー」が当初のコンセプト通りに完成され、
順調に1969年に発売されていたら?
この「レット・イット・ビー」はどのように評価されていたか?という仮説です。

グリン・ジョンズは、ビートルズの要望通りのコンセプトに沿って編集し、
二回に渡り「レット・イット・ビー」を完成させたと言われています。
1969年5月、1970年1月、の二回です。
このバージョンが2003年に発売された
「レット・イット・ビー・ネイキッド」よりも出来が悪かったのかは分かりませんが
(おそらく発売を保留にされたので出来が悪かったのでしょうが・・・)
仮にネイキッドと同レベルのものがが出来ていたとして、
1969年6月か7月に発売されていたら、どのような反応だったでしょう?

[ad#co-2]

果たして「レット・イット・ビー・ネイキッド」は傑作か!?

「レット・イット・ビー・ネイキッド」のコンセプトは、
簡単言ってしまうと一発録り、要は観客がいないライブ盤です。

「ラバー・ソウル」⇒「リボルバー」⇒「サージェント・ペパー」と
革新的なアルバムを創り上げてきたビートルズが
1969年の時点で、曲を集めただけのアルバムを出すことは
メンバーの誰も?特にポールは考えてなかったはずです。
ポールは、ホワイトアルバムが、収録曲の出来は過去最高なのに
アルバムとしての出来は「サージェント・ペパー」を
超えられなかったことを誰よりも分かっていたはずだからです。

アルバムを通して聴く場合、曲をただ寄せ集めたアルバムを聴くより
コンセプトがあったアルバムの方が聴ける!
(その点で、オリジナルの「レット・イット・ビー」より
「レット・イット・ビー・ネイキッド」の方がアルバムとしては評価できる。)
ホワイトアルバムと同じ轍を踏まないよう、ネイキッドというコンセプトを考えだし、
メンバーの関係修復とアルバムの質の問題と、
二つ同時に解決を図ろうとしたポールは流石!としか言いようがありません。

1969年は、音響設備も進歩し、
ビートルズがライブ活動を止めた1966年とは状況が変わってきていました。
そのおかげで、この年くらいから名盤と呼ばれるライブ盤がたくさん出始めますが、
当時は、まだライブ盤というのは珍しかったと思います。

おそらく、2003年のネイキッドくらいのものが出来あがり
1969年にリリースしていたら、そこそこ評価されていたのでは?と思います。
実際、ネイキッドはいいアルバムだし、元々、曲は名曲揃いなので。
しかし、’69年にリリースされた他のロックバンドのアルバムと比較すると・・・。
名盤と呼ばれていたでしょうか?

再びライブバンドとしてのビートルズ!が実現していれば、次の段階のビートルズが見られた!?

やはり、いくら編集しても限界はあり、
元々の音源を録りなおさないことには、結果は大幅に変わりません。
実際の’69年当時の音源を、ジョンは海賊版のような出来だったと語っています。
ループトップ・コンサートの出来が良かっただけに
続けて数回ライブを敢行していれば、きっともっといい音源が録れたはずです。

観客がいる前でライブをやっていれば、さらにいい音源が録れたかもしれません。
ライブ盤の素晴らしさの一つは熱気が伝わってくることです。
観客の熱気が演奏者に伝染し、演奏もテンションの高いものになる。
せっかくロックンロールナンバーで固めたのに、もったいなかったと思います。

ジョージ・ハリスンが、ライブを頑なに反対していたため実現されませんでしたが
このときにライブツアーでも行っていたら、またビートルズは次の段階へ成長できていたはずです。
(ポール・マッカトニーは、最初からそれを確信していましたが・・・。)
およそ半年後、ジョン・レノンはそれに気づきます。

しかし、このときビートルズは既に世界のトップバンドとして君臨しており、
結果を出すことも重要でしたが、
やって自身が面白いのか?嫌であれば拒否する自由もありました。
ジョンは、それをビートルズのメンバーと行うことを選択しなかったのです。
他のメンバーと行った方が、面白いし自身が成長できると思ってしまったのでした。

Let It Be… Naked (Remastered)

新品価格
¥1,820から
(2021/1/27 00:55時点)

[ad#co-2]
テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました