スポンサーリンク

ビートルズ雑談②〜解散の原因 人間は未知数で理解不能な行動を嫌う~

ビートルズ
[ad#co-2]

ビートルズの人間関係は1年で崩壊!?

ビートルズは、一般的には1970年4月にポール・マッカートニーの
脱退宣言を受けて解散したことになっています。
それは、他の3人のメンバーは既にビートルズに未練なく、
1969年9月、ジョン・レノンの脱退宣言を口火に
ビートルズとしての活動は停止状態で、
脱退を決意していなかったのはポールだけだったからです。

メンバーの仲は、ホワイトアルバムを創るために
スタジオ入りするまでは良好でした。
それがホワイトアルバム(録音期間’68.05.30~’68.10.18.)、
ゲット・バック(録音期間’69.01.02~’69.05.28.)という
2枚のアルバムを創る1年間のうちに、バンド解散になるほど悪化してしまったのです。

なぜ、たった1年で10年来の友情にヒビが入ってしまったのか?
まず、解散の原因とされる出来事を中心に解散までを簡単に振り返ってみます。

ビートルズ解散の要因とされる出来事12選!

①1967年8月 ブライアン・エプスタイン死去
マネージャーであった彼の死で、取りまとめ役、汚れ役が不在の状態に。
②1968年5月 アップル(ビートルズ自身の会社)を設立
音楽事業だけでなく多角経営の会社として設立されたものの直ぐに経営難に陥る。
③1968年5月 「ホワイトアルバム」録音開始
録音初日からジョンが小野洋子をスタジオに連れてくる。
④1968年8月 リンゴ・スターが約3週間非公式にバンドを脱退
録音作業は日に日に険悪な雰囲気に・・・。
⑤1969年1月 「ゲット・バック・セッション」を開始
メンバー間の関係は修復不可能と思われるほど悪化してしまう。
⑥1969年1月 ジョージ・ハリスンのビートルズ脱退宣言
ジョージはポールと口論した末、スタジオを出て行ってしまう。
⑦1969年3月 「ゲット・バック」の完成を第三者に委ねる
メンバー間の不仲から自身たちでアルバムを完成させることができず。
⑧1969年7月 「アビー・ロード」録音開始
再びビートルズが集結するも最後のアルバムを制作するためであった。
⑨1969年7月 ジョン・レノンがソロ名義でシングル「平和を我らに」を発売
既にジョンはビートルズとしてでなく、洋子との活動を重視していた。
⑩1969年9月 ジョン・レノン「トロント・ロックンロール・リバイバル」出演
ジョンがソロでライブ演奏、初めてジョンがビートルズ脱退の意思表示をする。
⑪1969年9月 ジョン・レノンのビートルズ脱退宣言
以後、ビートルズの活動の方向性が一つに合意されることはなかった。
⑫1970年4月 ポール・マッカトニーのビートルズ脱退宣言
ポールは、約半年かけてビートルズ脱退を決意、ビートルズ解散。

解散の一番の原因はエプスタインの死?

ジョン・レノンは
「ビートルズ解散の要因はブライアン・エプスタインが死んでしまったから」
と発言しています。

彼の死後、ビートルズは著作権料の交渉、税金対策、活動の方向性の取りまとめなど
彼が行っていた業務を後任を立てずに自分自身で行うことを選択します。
さらには、アップルを設立して、多角経営にまで挑戦しています。
決定しなければならない議題が増えたことで、意見の衝突も増え軋轢を生んで行きました。

そのときリーダーシップを取ったのがポール・マッカトニーでした。
ポールは「イエスタデイ」、「エリナー・リグビー」、「イエロー・サブマリン」を創り
「サージェント・ペパー」のアイディアで、その評価は絶大なものになっていました。
さらには「ヘイ・ジュード」で空前の大ヒットを飛ばします。
結果、ポールの発言権が増し、ビートルズ=ポールという図式が出来上がりつつありました。
次第に他のメンバーはポールに反発するようになり、
ポールの言う通りにしなければならないのなら脱退するという方向に向かってしまったのです。

他にも解散の原因は、上に挙げた12の出来事を中心に、ありますが、
止めの一発、解散のトリガーは自身が設立したアップル社であったようです。
エプスタインの死が間接的に関係しているものが多いです。

ビートルズ解散問題の詳細は、「ビートルズ解散の真実」などの本や
ビートルズに詳しい方々が書かれたブログに譲り、
ここからは、解散の核心となる原因一つに絞って書きたいと思います。

[ad#co-2]

解散原因の核心 ジョンの変容を他のメンバーは認めることができなかった!

私はビートルズを解散させたのは、ジョン・レノンであったと思っています。
いくらポールが凄いと言ってもビートルズを結成したのはジョンであり、
世界的な成功を成しえた大半の功績はジョンにあります。
ジョンがいなくてはビートルズと認められません。
そのジョンがビートルズに興味がなくなってしまったのだから。

何故、ジョンがビートルズに興味がなくなってしまったのか?
その原因はジョン・レノンの変貌を
他のメンバーが認められなかったことに尽きると思います。

ジョン・レノンは、エルビズ・プレスリー、チャック・ベリーに憧れ、ロックンロールをはじめます。
そして、ロックンロールで世界的成功を果たしてしまうと、次の段階へ移行します。
アイドルであることを辞め、高みあるアーティストであろうとしたのです。
そのステージには、ボブ・ディラン、フライアン・ウイルソンというライバルたちがいました。
ドラックを覚え、ジョージ・ハリスンとともに超瞑想の修行にも没頭するなど、
作風は、より精神世界へ入って行ったものになっていきまます。

ジョンの、ここまでの変化には他のメンバーたちも賛同し、
ついて来たもののホワイトアルバム以降の変化には
メンバーの誰もついてこれなくなってしまいます。

ジョンが目指した次のステージは、未知数で理解不能?

何故、他のメンバーはジョンについていこうとしなくなったのでしょうか?
それは、ジョンが駆け上がろうとした次のステージが、
訳の分からない理解不能な場所だったからです。
それもそのはずで、そのステージとは、
世間から認められるアーティストでいることを辞めることだったのです。

ジョンは世間から認められることは必ずしも重要ではないと、思い始めていました。
自分が幸せになるためにどうしたらいいか?
みんなが幸せになるためにはどうしたらいいか?
そういった作品を創作するようになっていきます。
そのためには、世間から認められないどころか、敵にまわしてもかまわない覚悟がありました。

「幸せになる」というコンセプトが世間を敵にまわすことになるのか?
と疑問に思う人もいると思います。
「自分の幸せ」と「世間が想像する幸せ」とは必ずしもイコールではありません。
イコールでなかったとき、それを推し進めることは世間を敵にまわすことになります。

人間は、未知数なこと、理解不能なことに嫌悪感を覚えるのです。
並の人間からみると、過去の輝かしい業績を捨てることは理解不能であり、
違う枠組みで新しいことをやろうとすることは未知数なことになります。

ジョンは幸せになるために、過去と違う枠組みで活動しようとします。
もう一つのテーマを達成する(世界平和を謳う)ために
精神的にワーキング・クラス・ヒーローになろうとしたのです。
それはビートルズの業績(優れたアーティストという評価)を捨てることになりました。
その行為は、ビートルズが絶大な評価を得ていただけあって、
世間から、かなりのバッシングを浴びることになります。
さらにベットインプロジェクトのような炎上覚悟の宣伝行為がさらに拍車をかけました。

このような状況は、かなりの精神的タフさがないと耐えられません。
ジョンでも洋子というパートナーがいなけば耐えられたか分かりません。
ビートルズの他のメンバーが、ジョンについて行けなくなってしまったのは
ジョンのそういった世間を敵にまわしてもかまわない態度の部分が大きかったと思います。
ジョン以外のメンバーが巻き込まれることを拒否したのは当然だったというわけです。

ビートルズの解散は決して悲観することではない!

こうしてビートルズは解散してしまいましたが
解散の原因となったジョンの変化は、
私たちにとって良かったことの方が多いことは間違いありません。
以降ジョンは、驚くべきことに
駆け上がろうしたステージを一気に二段階も登っていくことになります。
「自分が幸せになる」というテーマ(ジョンの魂)と並行して
「世界のみんなが幸せになる」というコンセプト(イマジン)の
作品までをも創り上げてしまいます。

これは小野洋子がいたからこそ可能となったことです。
小野洋子は物凄い人物です。
ジョンが洋子に夢中になった訳がよく解ります。
ジョンという優れたアーティストだからこそ洋子の凄さに惹かれたのだと思います。
洋子は安田財閥のお嬢様で頭が良く、優れた芸術家でしたが、
何よりの凄さは、恐ろしいまでの精神的な強さです。
世界中の何万もの人が何と言おうと貫き通せる強さがありました。
(ジョンと二人で活動していたからという面もあると思いますが・・・)

ビートルズの解散は決して悲観することではないと思います。
あのまま解散せずにビートルズが続いたとしても
結局は各ソロ名義で創られたものと同じような作品がリリースされたと思います。
違うのは、どの曲がビートルズで
どの曲がソロ名義になっていたかの違いくらいではないでしょうか。
(「マイ・スイート・ロード」、「イマジン」が
ビートルズでリリースされていたらビートルズはさらなる伝説的存在に?)

誰もが思うことですが、最も悲観すべきは
ジョン・レノンが暗殺されてしまったことです。
ジョンが生きていれば、かなりの高い確率で再結成はあったのではないか?と思います。
ビートルズのワールド・ツアーもあって、
ビートルズ後追い世代でもビートルズの熱狂を生体験できたのかもしれません。

[ad#co-2]
テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました