10.週刊誌時代の幕開け(サンデー・マガジン・キング創刊) 戦後日本マンガ史’45年~’50年代⑩

ニッポン戦後マンガ史(’45年~’50年代)

10.週刊誌時代の幕開け(サンデー・マガジン・キング創刊)

0戦はやと

スポーツマン金太郎・13号発信せよ・0マン・少年忍者部隊月光

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’53 年、日本で初めてテレビ放送が始まると人々の生活サイクルは月単位から週単位へと移行しだす。テレビは情報をリアルタイムで伝えることを可能にし、日々の情報を伝えるのに月刊誌では遅くなる。出版界もそうした生活サイクルに対応すべく週刊誌が続々と創刊され始める。’56年、新潮社が週刊誌「週刊新潮」を創刊して人気を博した。「週刊新潮」の成功で、’58年光文社から「週刊女性」が、’59年講談社から「週刊現代」、文芸春秋から「週刊文春」、など、大手出版社はこぞって週刊誌を創刊し、週刊誌の創刊ラッシュが起きる。そして、各週刊誌は爆発的に売れ行きを伸ばし、「週刊新潮」は’61年には発行部数100万部を達成した。週刊誌が続々と売れた背景には、週刊誌がタブーとされていた人間の心理まで踏み込んだ「金・色・権力」の記事を次々に報道したことがあるようだ。人々は、終戦で抱いた解放感を吐き出したいと思っていた。権力者から与えられる一方的な価値観ではない、一人一人のそれぞれが人生の価値観を選択できる土壌を週刊誌は創った。そして、’59年、日本の就業人口はサラリーマンなどの「雇用者」が半数を超える。会社社会の定着は、多数の長距離通勤するサラリーマンをうんだ。国鉄の売店には30種類以上の週刊誌がならび、電車通勤する会社員は、その中から数種選び、職場での話題を見つける習慣ができた。こうして出版業界に週刊誌ブームが起きる。この波に漫画業界も乗ることになる。

サンデーとマガジンの創刊
’59年に週刊誌、小学館から「週刊少年サンデー」、講談社から「週刊少年マガジン」が創刊された。初めに週刊誌創刊の企画を英断したのは小学館であっ た。’58年10月、小学館は少年向けの漫画雑誌の週刊化を計画し始める。それから後れること約3ヶ月、’59年1月 下旬、講談社はその情報を入手すると即、少年漫画雑誌の週刊化に着手し始めた。講談社が小学館に後れを取るまいと創刊日を早めると小学館も前倒しをはか り、漫画家の連載交渉、価格設定を探り合うなど、2社は強力なライバル関係へと発展していく。そして、講談社は着想から約1ヶ月半というスピードで「マガ ジン」を創刊してしまう。「マガジン」は3月26日に発売され、小学館の「サンデー」は4月5日発売となった。

創刊日争いではマガジンが一歩リードという結果で終わったものの、内容はサンデーに軍配が上がった。小学館は講談社より3ヶ月以上前に漫画雑誌の週刊化を計画実行していたので、手塚治虫を始めとする人気漫画家達を抑える事に成功していた。サンデー創刊号は、連載5枠のうち手塚治虫「スリル博士」、寺田ヒロオ 「スポーツマン金太郎」、藤子不二雄「海の王子」と3枠をトキワ荘出身の人気漫画家で占めている。小学館は学習誌を発行していた出版社で漫画雑誌の発行経 験がなかったため、とにかくブランド力のある一流漫画家を確保することが成功の第一条件と考えていた。手塚治虫に連載してもらうため、手塚が連載していた 10誌全てのギャラを用意して小学館専属の連載依頼を交渉したというくらいだ。人気漫画家を抑えられてしまったマガジンは、当時人気の鉄人28号のオマー ジュ的作品、高野よしてる「13号発進せよ」で対抗。結局、創刊号の発行部数争いではサンデー30万部に対してマガジン20.5万部で、サンデーの勝利で 終わった。

キングの創刊と戦記ブーム
’63年には少年画報社が3番目の週刊少年漫画雑誌として「週刊少年キング」を創刊している。少年画報社は小学館、講談社に比べると会社の規模は小さいながらも 「少年画報」(月刊の少年漫画誌)をヒットさせていた。編集方針も「少年画報」を週刊化するという位置づけであったようだ。「キング」は、「少年画報」に連載 していた漫画家達の他にもトキワ荘出身の人気漫画家を積極的に起用し、創刊号を25万部発行して順調な立ち上がりをみせる。創刊当初は、辻なおき「0戦はやと」、吉田竜夫「少年忍者部隊月光」が二枚看板で漫画と同様、記事も戦争もの、メカものが多かった。ちなみに、少年画報と同じく人気雑誌の少年を持つ光文社も週刊少年漫画雑誌創刊 を企画してい たが’61年に頓挫している。

このときは少年画報社だけでなく、各社の雑誌も戦争記事が多く、ちょっとした戦記ブームであった。基本的に男の子は、日の丸、戦闘機、メカが好きだったようだ。「もはや戦後ではない」が流行語となったのは’56年、敗戦から心理的に開放されたのはこの頃だったのだろうか、戦記ブームは武道より遅れてやってきた復古調ブームのくくりの一つと言えそうだ。戦記ブームは、戦争の悲惨さを連想させるため、このあと起こる特撮怪獣ブームによって廃れるが、この系譜はSF作品へと形を変えて引き継がれていく。

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