7.少女漫画の誕生 男性が描く少女漫画 戦後日本マンガ史’45年~’50年代⑦

ニッポン戦後マンガ史(’45年~’50年代)

7.少女漫画の誕生 男性漫画家が描く少女漫画

あらしをこえて
リボンの騎士・ママのバイオリン・おてんば天使・龍神沼

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日本の漫画産業は、世界のサブカル市場でも独自の市場を持っている。それは女性をターゲットにした作品群がジャンルを形成し、一つの市場として成り立っていることである。小説でも映画でも女性をターゲットにした作品は数あるが、ジャンルとしての市場形成までは至っていない。もちろんコミック市場で「少女マンガ」というジャンルがあるのは日本だけだ。少女漫画は’70年代に、「ベルサイユのばら」という社会的センセーション(ベルばらブーム)と漫画ファンの間の萩尾望都ショックによって、少女以外の読者にも楽しまれるようになり、社会的評価を得た。そして2000年代には、アメリカで日本の少女漫画(パラダイス・キス、フルーツバスケットなど)が全書籍の中で 一番の 売上となるなど、少女漫画は世界に誇れる日本の文学にまで至っている。しかし少女漫画は、花や星が飛び交い、登場人物の目は不自然なほどに大きく、コマを突き破るキャラクター像、二ページ見開きを一画面として構成する手法など、少女漫画というジャンルが確立されてしばらくは心理的に同化できる少女読者しかそのスタイルの素晴らしさが理解されなかった。戦後間もなく、少女漫画は社会的に評価されないどころか、漫画ファンの間でさえ軽蔑の対象であった。

少女漫画前史 コマ漫画の時代
’50年代までの主な少女誌は、講談社「少女クラブ」(’46年~’62年)、光文社「少女」(’49年~’63年)、集英社「少女ブック」(’51年~’63年)で、’55年にこれらの下の年齢層をターゲットにした講談社「なかよし」(’55年~)、集英社「りぼん」(’55年~)が創刊された。内容はバレエ、宝塚、映画、などのグラビア、芸能記事、手芸などの文化生活記事、小説、漫画、等で構成されていた。漫画は少年漫画と同じく、笑いを担当していたコマ漫画で、漫画の比率は10%~20%程だった。中でも人気があったのが、少女で連載されたおてんばなお姫様が主人公の倉金章介「あんみつ姫」(’49年~’55年)で、終戦間もない貧しい時代という背景もあって生活力のある活発な女の子が受け入れられたようだ。当時は、少女漫画家という職業はなく、大人漫画、児童漫画を描いていた漫画家たちが少女誌で連載していた。少女漫画というジャンルが確立し始めるのは、手塚治虫「リボンの騎士」の登場まで待たねばならなかった。

少女漫画の始まり リボンの騎士の登場
戦後間もなく、戦後民主主義教育にのった形で、外国の多くの児童文学が日本に紹介される。世界名作全集という形のそれらの中には「愛の妖精」、「小公 子」、「アルプスの少女」、「若草物語」、「牧場の少女」、「ジャンヌ・ダルク」、などが含まれていた。少女誌では、こういった名作絵物語の他にも童話、 映画、ディズニー、などが紹介され、人気を得ていた。こうした影響から日本にもファンタジーものの土台ができ、’53年、少女クラブで手塚治虫 「リボンの騎士」が連載開始される。「リボンの騎士」は宝塚とディズニーを融合させたロマネスク世界のファンタジーで、少女誌で初めて漫画で高度なストーリーを展開した作品だった。それまではコメディタッチのコマ漫画で、華やかな絵は小説の挿絵に限られていたが、物語を漫画でつくれ る手塚は「リボンの騎士」でストーリー性と華麗な絵をドッキングさせ、少女が憧れるロマンファンタジーの世界を漫画で創り上げた。後々、ロマンファンタジーの世界観はマイナー化していってしまうが、この華麗な世界観と登場人物が男装するという宝塚をモチーフにしたスタイルは少女漫画の一つのジャンルとして引き継がれていく。少女漫画の基礎スタイルを確立した「リボンの騎士」の成功で手塚は少女誌でも超売れっ子となる。手塚は’57年頃まで少女誌で活躍し、少女誌は掲載作品が小説から漫画へとシフトしていき、漫画もコマ漫画から高度な物語が漫画で描かれるようになっていく。

男性漫画家が描く少女漫画
’50年代の終わりくらいまで、少女誌で描く漫画家は新人か二流漫画家で、少女漫画は少年漫画よりも下に見られていた。ジャンル違いのため少年誌で人気がある漫画家でも少女誌の人気につながることがなかったので、人気漫画家は少女誌で連載していなかったからだ。当時人気の少女漫画をみてみる。少女クラブで連載された手塚治虫「リボンの騎士」(’53年~’56年)、上田トシコ「フイチンさん」(’57年~’62年)、 木山シゲル「月光天使」(’57年)、 松本零士「銀の谷のマリア」(’58年)、ちばてつや「ママのバイオリン」(’58年)、水野英子「星のたてごと」(’60年)、石ノ森章太郎「龍神沼」 (’61年)。少女で連載された横山光輝「白ゆり行進曲」(’55年)、東浦三津夫「涙のオルゴール」(’56年)、高橋真琴「あらしをこえて」(’58年)、西谷康二(原作)/牧美也子(画)「少女三人」(’58年)。少女ブックで連載、わたなべまさこ「山びこ少女」(’57年)。なかよしで連載の鈴木みちを(原作)/山根赤鬼(画)「かのこちゃん」(’56年)、山田えいじ「ぺスよおをふれ」(’57年)。りぼんで連載の横山光輝「おてんば天使」(’59年)。

既に何人か女性漫画家が人気作を連載しているが、’50年代前半までは男性漫画家しか少女誌で連載していなかった。後に巨匠となる漫画家の新人時代の連載も目に留まる。特に石ノ森章太郎、横山光輝、ちばてつやの三人は、少女漫画のメイン的存在だった。この三者の中でも石ノ森章太郎は少女の心理描写の実験を繰り返すなど新しい表現を模索し、少年漫画よりも少女漫画で、その革新性を発揮し、後の革新者、西谷祥子、竹宮恵子、萩尾望都たちに影響を与えている。

高橋真琴の登場 ムードとファッションの表現
’50年代前半、少女誌に掲載された小説はページの半分が挿絵で占められ、 挿絵画家は小説家とほぼ同じ扱いで目次や扉絵に名前が掲載されていた。それだけ挿絵は重要と考えられ、読者も挿絵を物語と同じく楽しみにしていた。挿絵のレベルは高く、漫画チックなものから薄墨で写実的なもの、ハイセンスなファッション画のようなものまであった。これらの魅力的な挿絵を漫画に導入したのが高橋真琴だった。高橋真琴は、少女で連載の「あらしをこえて」(’58年)で爆発的人気を得る。続いて同じく少女で連載された「東京~パリ」(’58年)、「プリンセス・アン」(’59年~’60年、橋田寿賀子原作)、と人気作を連載する。バレエ、バイオリンといった小道具と最新のファッション、西洋のムードと都会的センスなど、高橋が描く世界観は今までの漫画にはないものだった。そして、その頃衰退しかかっていた絵物語の絵、小説の挿絵を漫画に導入、美しい少女を魅せるためだけにコマを四段ぶち抜きで少女を描いた。(後々まで少女漫画の悪口として言われた無意味なスタイル画の登場)そして、背景も登場人物と同じくイラスト的手法で飾られ、擬音は模様のように描かれ、空白には無意味なフランス語が描かれるなど、洗練されたムードをつくるために次々と新しい手法を確立していった。絵の魅力、ファッション性、ムードを重視した高橋の手法は、後の女流漫画家たちによって変質、進化し、少女漫画が完成していくことなる。


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