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サザンオールスターズ アルバム解説⑧~1985年 KAMAKURA~

サザンオールスターズ
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1985年リリース曲 メロディ (Melody) 他 アルバム「KAMAKURA」

5月 Bye Bye My Love (U are the one)
8月 メロディ (Melody)
9月 KAMAKURA(アルバム)

KAMAKURA 収録曲
Disc 1
1.Computer Children
2.真昼の情景 (このせまい野原いっぱい)
3.古戦場で濡れん坊は昭和のHero
4.愛する女性とのすれ違い
5.死体置場でロマンスを
6.欲しくて欲しくてたまらない
7.Happy Birthday
8.メロディ (Melody)
9.吉田拓郎の唄
10.鎌倉物語

Disc 2
1.顔
2.Bye Bye My Love (U are the one)
3.Brown Cherry
4.Please!
5.星空のビリー・ホリデイ
6.最後の日射病
7.夕陽に別れを告げて 〜 メリーゴーランド
8.怪物君の空
9.Long-haired Lady
10.悲しみはメリーゴーランド

「KAMAKURA」はビックバンドとなったサザンの象徴!

1985年、サザンオールスターズは例年通り、
「夏と言えばサザン」と認知された定番スケジュールで、
6月にアルバムをリリースして、7月から全国ツアーを回る予定でした。
しかし、3月に録音を開始したアルバムの完成は延長に延長を重ねることになります。

’85年に発売した2枚組アルバム「KAMAKURA」は、
その制作に1985年のほとんどを費やされることになりました。
製作期間は3月初旬から8月末までで、制作時間は1800時間にも及びます。

レコーディングしているうちにコンセプトが成長変化したため
新たに録音し直したり、新曲も日に日に増えていったのだそうです。
そうして、当初は1枚のリリース予定であったものが
2枚組に変更され、リリース日も9月に延期になったそうです。
予定していた全国ツアーは全てキャンセルされて秋以降の延期が許されたというのだから、
当時、既にサザンは売れる大物バンド(事務所、レコード会社にとって金の卵)として
君臨していたことを物語っています。

しかし、これはエンジニアやスタジオスタッフが語っている説で、
実際には2枚組になった経緯は違うようです。
桑田をはじめとするメンバーによると、元々のコンセプト自体が2枚組であったとのことです。
つまり、当初は2枚組のアルバムを3~4ヶ月で録り終える予定であったが、
いいものを創ろうとするあまり、時間を詰め込んでも半年かかってしまったということです。

このアルバムは録音時間に加え、録音参加者も多いです。
サザンのメンバーに加えて、ゲストミュージシャンは40人以上、
エンジニア&スタジオスタッフは10人以上、ということで、
かなりのコストをかけて創られたことが分かります。
このことからも当時のサザンの大物感がうかがえます。
(当時、海外のビックアーティストは3~4年に1枚なんてことも普通になってはいましたが・・・)

1985年で一旦活動停止!活動停止理由は?解散はあった?

1985年、原由子が妊娠、出産を理由にサザンオールスターズは活動停止を宣言します。
活動停止の他理由として
「KAMAKURA」までで、桑田がサザンでやりたいことは一通りやったから?
「KAMAKURA」でメンバー6人がやりたいことをやり尽くしたので燃え尽きたのでは?
と言われることもあります。

やはり、同じメンバーで活動し続けるとやれることに限界がでてきてしまうのか?
この年はサザンがデビューして8年です。
(ビートルズの活動期間も8年。)
また、2枚組のアルバムは、やれることを出し尽くしてしまうという点で
どんなビックバンドでも次作のアルバムは、クオリティが低くなりがちです。
あながち、活動停止は原由子の出産だけが原因ではないと言われるのも分かります。
実際、桑田はサザンの活動で煮詰まっていたところがあり
原の出産は、それまでと違うことをやれるいい契機だと思ったと語っています。

1985年の年末、桑田はMTVで「ディラン・ディラン」が分裂した
「アーケイディア」と「パワー・ステーション」を観ます。
そして、こういう方法がメジャーでも出来るという閃きから
新しいバンド、「KUWATA BAND」を結成することを決意し、ソロ活動を開始します。
翌年、他の各メンバーもソロ活動に入っていきます。

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「KAMAKURA」解説~労力を惜しまず創りこまれた傑作~

1985年に発売されたアルバム「KAMAKURA」は、
前作の「人気者で行こう」の延長線上のコンセプトで創られました。
前作より効果的に使われたコンピューターサウンドが聴くことができます。
なので、このアルバムは「人気者で行こう」と兄弟のようなアルバムで、人気も2分しており、
「人気者で行こう」でなく「KAMAKURA」をサザン史上の最高傑作に挙げる人も多いです。
売り上げでは、95.3万枚で、前作を上回っていて、
’90年代までは「KAMAKURA」が最高傑作と言われていたと思い返します。

「人気者で行こう」との一番の違いは
製作期間を3月~8月まで費やした2枚組の超大作ということです。
ビートルズの2枚組アルバム「ホワイトアルバム」に
引けを取らないレコーディング期間になります。
大森隆志は、「スタジオから街中を見たら始めたときはコートを着ていたのに
終わる頃にはタンクトップ着ていたんだ。」と表現しています。
それだけの労力をかけたからか、メンバーが好きなアルバムを挙げると
「KAMAKURA」か「熱い胸さわぎ」が多いそうです。

録音の方法は、演奏を聴きながらメンバーがそれぞれのパートの作曲(編曲)を
何パターンも試すというものだったらしいです。
テイク数はいくつもあるのでしょうが、バージョン違いもいくつか試し、
ほとんどの曲に2~3パターンの別バージョンが存在しているようです。

このアルバムの編集は、ほとんどの曲に藤井丈司がプロデューサーとして関わっています。
「ステレオ太陽族」のときに八木正生のプロデュースの影響が大きかったように
このアルバムでは藤井丈司の影響が見られます。
藤井丈司はYMOのアシスタントの経験から
電子音を多用した楽曲のプロデュースに才能を発揮し、
布袋寅泰「GUITARHYTHM」シリーズや数々のヒット曲のプロデュースを行っています。
サザンでは、「人気者で行こう」からテクノ部分の編集に携わり、
このアルバムでは全体をみるサザンとの共同プロデューサーとなっています。
このことからも、「KAMAKURA」は電子音に特化した楽曲を、
それも「人気者で行こう」を上回って創ることを目指していたことが分かります。

「KAMAKURA」感想

このアルバムが最高傑作に挙げられるのは
コンピューターサウンドの完成度が前作を上回っていることと、
「メロディ (Melody)」の出来が素晴らしいことが理由となっています。
桑田佳祐自身、また、中山康樹、スージー鈴木、などの評論家たちは、
「メロディ (Melody)」に最高の評価をしています。

イントロからAメロ、Bメロが素晴らしいのは、なんとなく分かります。
できる限りの透明感を演出した日本版ゴスペルと言った感じで
「ミス・ブランニュー・デイ」とともに’80年代前半の日本を象徴している音のように感じます。
私は、この曲をリアルタイムで体験できていないので、
このように思うのかもしれないのですが、
「メロディ (Melody)」がサザンの曲の中でも頭一つ抜けていると感じるのは
リアルタイムで体験した世代で、それ以外の世代には分かり難いのではないでしょうか?
「ミス・ブランニュー・デイ」と同様、それ程、時代に特化した曲です。

私的には、「kamakura」は3~4曲の捨て曲があり、
本当に好きな曲もそれほど多くありません。
2枚組アルバムは曲数が多いために、多種多様な曲が収録してないと退屈してしまいます。
そうゆう意味で、このアルバムは他の2枚組で名盤と言われるアルバムと比べると
単一的で、2枚組としての存在感は薄く感じます。

好きな曲は、この4曲です。
disk1.⑤「死体置場でロマンスを」⑦「Happy Birthday」
disk2.⑤「星空のビリー・ホリデイ」、⑦「夕陽に別れを告げて 〜 メリーゴーランド」

「死体置場でロマンスを」はギターが素晴らしい。
間奏で聴ける車が走り去る音や電話のベル音、電話越しでの会話などは
このような曲にありがちな蛇足感がまったくなく、
楽器の一部のように音を入れていて、曲を盛り上げてくれます。
「Happy Birthday」は「ミス・ブランニュー・デイ」で犯した
曲のノリをボーカルが邪魔をするという失敗を克服しています。
サビのパートのドラムは、何度聞いてもいいです。

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