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サザンオールスターズ 「TSUNAMI」他 解説⑰~1999年~2000年~

サザンオールスターズ
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1999年~2002年リリース曲 「TSUNAMI」、「HOTEL PACIFIC」、他

1999年3月 イエローマン〜星の王子様〜
2000年1月 TSUNAMI
2000年7月 HOTEL PACIFIC
2000年11月 この青い空、みどり〜BLUE IN GREEN〜

「TSUNAMI」トリプルミリオンに迫る空前の大ヒット!

サザンオールスターズ・桑田佳祐(ソロ)はデビューして10年くらいは
ほぼ毎年アルバムをリリースしていましたが、
デビュー10年~20年は、1枚/2年のリリースと間隔が空いていきます。
デビュー20年以降は、さらに間隔が空いていき1枚/4~5年くらいのリリースとなっていきます。
シングルはコンスタントに毎年1枚以上はリリースしています。
(そのため今回のブログはアルバム解説なしとなっています。)

「さくら」の次作のアルバム「ROCK AND ROLL HERO」は4年後に発売されました。
しかし、この4年間は、桑田のキャリアの中でも作曲の才能がピークだったのでは?
と思えるほど、ヒットシングルを連発します。
その中でも最もヒットしたのが「TSUNAMI」です。

「TSUNAMI」は293.6万枚のヒットを記録し、サザン史上最大で日本史上でも4番目の売上となりました。
2000年の売上1位となり、「第42回日本レコード大賞」で大賞を受賞します。
2000年~2001年にかけて、桑田佳祐は
フジテレビ系で「桑田佳祐の音楽寅さん〜MUSIC TIGER〜」という冠番組を持っており、
その出演で忙しかったからか、この年、オリジナルアルバムを創りませんでした。
「TSUNAMI」の空前のヒットで創れば売れたことは間違いなしだったはずです。
代わりに「TSUNAMI」収録のベスト的バラード集「バラッド3 〜the album of LOVE〜」をリリースします。
売上は予想通り284.5万枚のヒットを記録しました。
サザンは、1998年に初のベストアルバム「海のYeah!!」(売上は359.2万枚)をだしたばかりでした。

「TSUNAMI」空前のヒットの理由 サザンは国民的バンドと呼ばれるように!

サザンは過去、20年以上に渡って何十曲ものヒット曲を量産してきており、
「いとしのエリー」、「真夏の果実」など、時代を代表する曲もあります。
ライブツアーは毎年、何十万人も動員する大イベントになりました。
そして2000年、サザンは「TSUNAMI」で293.6万枚という爆発的なセールスを記録します。
ヒットの理由は、サザン世代と言われる20代~30代以外の世代に受け入れられたからと言われています。
このことから、サザンオールスターズはいつからか国民的バンドと形容されるようになります。

●日本歴代シングル売上ランキング
1位(1975/12) およげ!たいやきくん/子門真人  457.7万枚
2位(1972/05) 女のみち/宮史郎とぴんからトリオ 325.6万枚
3位(2003/03) 世界に一つだけの花/SMAP     313.2万枚
4位(2000/01) TSUNAMI/サザンオールスターズ   293.6万枚
5位(1999/03) だんご3兄弟/だんご合唱団・他     291.8万枚
6位(1992/05) 君がいるだけで/米米CLUB      289.5万枚
7位(1991/07) SAY YES/CHAGE&ASKA               282.2万枚
8位(1994/11) Tomorrow never knows/Mr.Children 276.6万枚
9位(1991/02) ラブ・ストーリーは突然に/小田和正 258.8万枚
10位(1995/07) LOVE LOVE LOVE/DREAMS COME TRUE  248.9万枚

サザンのライブで「Oh!クラウディア」の演奏中、
桑田佳祐は観客の一人が感動して泣いているのを目撃します。
そして、「こうゆう人達のために曲を書けばいいんだ!」と思い、
書いたのが「TSUNAMI」なんだそうです。

これは、私の勝手な推測ですが、
オアシスの「Don’t Look Back In Anger」(1995年リリース)がヒットしたことが
この曲の創作に間接的に影響しているのでは?と思っています。
「Don’t Look Back In Anger」は、
ビートルズでいう「Hey! Jude」のような曲です。
大勢で大合唱でき、鍵盤のストロークが印象的なのも似ています。
「Don’t Look Back In Anger」を聴いて、
桑田も自分なりの「Hey! Jude」を創ろうと思ったのではないでしょうか?
「TSUNAMI」は鍵盤のストロークが印象的な皆で大合唱できる曲です。

改めてこの曲を聴き返して思いましたが、
この曲は日本史上4番目に売れたというだけあって
「Don’t Look Back In Anger」を超える「Hey! Jude」に匹敵する出来です。
但し、この曲は失恋の歌で、(失恋は共感できる時期が少ない)
もっと幅広い層に共感できるようなテーマにすれば、
さらに名曲感が増したのでは?と個人的には思いました。

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「TSUNAMI」ヒットの余波! 11年後、津波による大災害により「TSUNAMI」は不謹慎ソング?

2011年3月11日、東日本大震災により津波が発生、津波により大被害がでました。
これ以降「TSUNAMI」は、1回もサザンのライブでは歌われなくなりました。

「TSUNAMI」は、人生でこれ以上好きになることはないと思える女性との失恋の歌です。
津波という単語はサビに「その女性を見つめると津波のような侘しさに怯える」という例えの一説だけ表れます。
そして、曲名にも。
桑田佳祐は、映画「稲村ジェーン」を創ったことからも分かるように
海、サーフィン、が好きなので波にまつわる歌詞を創るのは必然に思われます。
この曲の歌詞は、波を感情に例え、その最大級の波、津波を感情に例えることで
これ以上ない感情であることを表現しています。

曲にでてくる津波とは恋愛の感情の例えであることから
自粛する必要はないという意見。
この曲が震災とは関係ないと分かっていても
曲名が津波なので、被害に遭われた方は辛さを思い出してしまい、
聴きたくないという意見があるようです。

聴く人によって様々な感情を持つのが音楽です。
この曲は悪意を持って創られたわけではないことは確かです。
震災から10年以上経ち、サザンのライブではそろそろ歌ってもいいのでは?と思います。
サザン最大のヒット曲を聴きたいと願うファンも多いと思います。

「HOTEL PACIFIC」~茅ヶ崎辺りのリゾート感満載のお祭りソング~

2000年のライブは、8月に行われた桑田の出身地である茅ヶ崎での
凱旋野外コンサートが印象的でした。
サザンファンが茅ヶ崎市長に5万人の署名簿とコンサート開催の要望書を提出し実現にこぎつけたライブでした。
このライブのために創ったシングルが茅ヶ崎感満載の「HOTEL PACIFIC」です。
「HOTEL PACIFIC」は82.3万枚を売り上げています。

この曲が、なぜ茅ヶ崎感満載かというと、
この曲名のホテルは、茅ヶ崎にあった実在のホテルなのです。
現在はもうありませんが、「パシフィックホテル茅ヶ崎」は加山雄三が共同経営していたホテルでした。
桑田佳祐にとっては、かなり思い出のある場所のようで、
中高時代は、ホテルにあったボウリング場で
桑田はジュニアボウラーとして活躍し、プロを目指すほどの腕前だったそう。
さらに大学時代は、ホテルのプールサイドでバンド演奏のアルバイトをしていたんだとか・・・。

「HOTEL PACIFIC」はミリオンセラーには至らなかったものの
サザンの中でも「勝手にシンドバッド」、「みんなのうた」以来のスタジアムライブ受けする名曲です。

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