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サザンオールスターズ アルバム解説⑬~1991年~1992年 世に万葉の花が咲くなり~

サザンオールスターズ
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1991年「ネオ・ブラボー!!」 1992年「涙のキッス」 アルバム「世に万葉の花が咲くなり」

1991年6月「MOTHER」(原由子・ソロアルバム)
1991年7月「ネオ・ブラボー!!」
1991年9月「クリといつまでも/北京のお嬢さん」(SUPER CHIMPANZEE)

1992年7月「涙のキッス」
1992年7月「シュラバ★ラ★バンバSHULABA-LA-BAMBA/君だけに夢をもう一度」
1992年9月「世に万葉の花が咲くなり」(サザン・アルバム)

●世に万葉の花が咲くなり 収録曲
1.BOON BOON BOON 〜 OUR LOVE [MEDLEY]
2.GUITAR MAN’S RAG (君に奏でるギター)
3.せつない胸に風が吹いてた
4.シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA
5.慕情
6.ニッポンのヒール
7.ポカンポカンと雨が降る (レイニー ナイト イン ブルー)
8.HAIR
9.君だけに夢をもう一度
10.DING DONG (僕だけのアイドル)
11.涙のキッス
12.ブリブリボーダーライン
13.亀が泳ぐ街
14.ホリデイ ~スリラー「魔の休日」より
15.IF I EVER K HEAR YOU KNOCKING ON MY DOOR
16.CHRISTMAS TIME FOREVER

サザン!初の海外公演!中国公演と桑田・原のソロプロジェクト!

1991年 桑田佳祐のソロプロジェクト(SUPER CHIMPANZEE)!と原由子のソロ活動!

1991年の桑田佳祐は、10年前の1981年をなぞる形で活動しています。
ソロ活動として、全曲洋楽カバーのライブを敢行し、
原由子は3作目となるソロ・アルバムをリリースすることになります。

まず、桑田はソロ活動を始動します。
1991年3月、洋楽カバーのライブ「アコースティック・レボリューション」を敢行。
10年前も洋楽カバーのソロライブを行っています。
1989年からアメリカで、MTVアンプラグトという
アコースティックで行う音楽番組がヒットしており、それをヒントにしたのか、
今回のライブは洋楽ナンバー26曲をアンプラグドスタイルで行っています。
このライブに参加したメンバー、桑田佳祐、小林武史、小倉博和、佐橋佳幸、角谷仁宣、らは、
後に「SUPER CHIMPANZEE」と呼ばれるバンドとなります。

6月に原由子のソロアルバム「MOTHER」、
7月にはサザンの29枚目のシングル「ネオ・ブラボー!!」を完成、リリースさせると
7月、「SUPER CHIMPANZEE」として北京に渡り、
現地のライブハウスに飛び入り参加したり、万里の長城や天安門などで日中友好音楽使節団として演奏しました。
そこで披露された「クリといつまでも」「北京のお嬢さん」は9月にシングルリリースされます。

帰国するとサザンとしての活動を再開します。
8月から東名阪の野外スタジアムツアー「THE 音楽祭1991」ツアーを敢行。
(このツアーからベースの関口和之が体調不良で、サザンの活動から一時離脱。)
12月には、恒例の年越しライブ「闘魂! ブラディ・ファイト年越しライブ at 横浜アリーナ」を敢行。
テーマは、「ロックとプロレスの融合」で
メンバーたちはリングアナの紹介によってプロレスラー風に登場し、
辻よしなり、山本小鉄による実況解説、そして新日本プロレスのレスラーが乱入しました。

1992年 「世に万葉の花が咲くなり」のヒット!サザン初の海外(中国)公演!

1992年、サザンオールスターズは、9月12日と13日に
中国公演「南天群星 北京で逢いましょう」を北京・首都体育館で公演します。
2日間で2万人を動員し大成功に終わります。
サザンオールスターズの中国名は「南天群星」。
’92年は「日中国交正常化20周年」の年で、
北京の紫禁城から彼らはテレビ朝日「ミュージックステーション」に生出演しました。
紫禁城から生中継は、ニクソン元米大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領に続く「史上3番目」と話題になりました。

帰国後、アルバム「世に万葉の花が咲くなり」をリリースすると
10月14日から全国アリーナ・ツアー「歌う日本シリーズ1992~1993」をスタート。
年越しライブは、TBS系でカウントダウンを挟み
「元旦まで感動生放送! 史上最大39時間テレビ『ずっとあなたに見てほしい年末年始は眠らない』」が放送されました。
ライブ演奏の他にデビューからの歴史を振り返る「ロック怪獣サザン伝説」という内容でした。

原由子(ソロ)の3枚目のオリジナル・アルバム「MOTHER」(マザー)

1991年は、桑田と原のソロプロジェクトの年でした。
桑田佳祐は「SUPER CHIMPANZEE」を結成して
北京で「クリといつまでも」を披露しますが、中国でよくOKが出たという内容の歌詞でした。
このシングルは1992年に発売された
桑田のソロのベストアルバム「フロム・イエスタデイ」に収録されています。
「フロム・イエスタデイ」は、このシングルの他にも
「KUWATA BAND」のアルバム未収録のシングルも収録されており、
後追いファンには、長い間マスト・アイテムでした。

原由子は8年ぶりのソロ・アルバム「MOTHER」を発表。
桑田と小林武史が共同プロデュースしたもので、
歌入れは自宅にあるプライベート・スタジオ「猫に小判スタジオ」で行われました。
このアルバムのリリースと前後して、原は単独でCMやテレビ番組に出演し、
6月には初のソロツアー「花咲く旅路」をスタートさせます。
そして、12月31日にはソロで「NHK紅白歌合戦」にも出場するなど大活躍で、
アルバムのセールスは2枚組にも関わらず、大健闘の61.5万枚を売り上げました。

このアルバムは2枚組全20曲で、
1987年~91年までにリリースされた曲が収録されています。
この4年間にリリースされたシングルは収録されている曲とされていない曲があります。
シングルのカップリング曲がいい曲もあるためカップリング曲の方が収録されてたりします。
このアルバムは退屈な曲も数曲ありますが、かなりの傑作で、
過去の2作より原由子の作詞作曲の才能が光っています。
桑田佳祐の曲より原由子が創った曲の方がいい曲が多いです。

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「世に万葉の花が咲くなり」解説~日本文化を意識したアルバム~

1992年7月、サザンオールスターズは、
シングル「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」と「涙のキッス」を同時発売します。
オリコンで2曲が初登場で1位と2位を独占するという史上初の快挙を達成します。
「涙のキッス」は7週連続チャート1位で、154.9万枚を売り上げます。
(「シュラバ★ラ★バンバ」は96.9万枚の売り上げ。)
そして、アルバム「世に万葉の花が咲くなり」は179.4万枚を売り上げました。
シングル、アルバムともにサザン・桑田史上最高記録となりました。

過去の作品と比べ、いきなりセールスが跳ね上がりましたが、
正直、今回の作品が過去の作品よりも突出して優れているという訳ではありません。
この理由は、高視聴率ドラマの主題歌という相乗効果でダブルミリオンを売り上げた
前年のヒット曲、小田和正「ラブストーリーは突然に」とCHAGE&ASKA「SAY YES」の影響です。
この2曲によって’90年代の日本のポップミュージックシーンが、
幕を開けたと言っても過言でなく、
’90年代はテレビとのメディアミックスによってミリオンセラーが連発されていくことになります。
「涙のキッス」が売れたのも、冬彦さんブームで高視聴率を記録した
TBSの金曜ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌になったことと無関係ではありません。

「世に万葉の花が咲くなり」は、1988年から桑田作品をプロデュースしている小林武史が、
今回も参加し、サザンとの共同プロデューサーとなっています。
しかし、作風は前作までとは違う内容となっています。

「NIPPON NO ROCKBAND」以外の桑田作のアルバムには、
夏を連想させる曲が必ず入っていましたが、このアルバムには、それがありません。
今までになかったクリスマスソングが収録されており、意図的にそうしたと思われます。

そして、もう一つの異色な内容が歌詞です。
アルバムのタイトルがそうですが、
古来からの日本文化を意識した歌詞となっています。
制作中、桑田は万葉集を読み返したそうです。
但し、このコンセプトで統一して創られてはおらず、中途半端感は否めません。
当時の風俗的な歌詞も多いため、雑多な印象のあるアルバムです。

「世に万葉の花が咲くなり」感想~ロックナンバー3曲は素晴らしいが・・・~

このアルバムの新機軸として
③「せつない胸に風が吹いてた」と⑨「君だけに夢をもう一度」の2曲があります。
この2曲は「何を言っているか分からない歌詞からの脱却」を試みた曲です。
サザンと言えば、日本語の文法を無視したちゃんぽん歌詞でそのスタイルを確立しました。
そして、その延長路線とも取れる全編の英語詩、スペイン語詩を
桑田は直前のアルバムまで実践していました。
しかし、この2曲で「きれいな日本語をメロディに乗せる」という
それまでとは真逆の明確なコンセプトを実践します。
(ある一部分において)アンチ”はっぴいえんど”であったとも言える桑田が
“はっぴいえんど”が確立した日本語ロックを実践しており、
この2曲の試みは大成功に終わりました。

失敗したと思えるのが⑥「ニッポンのヒール」と
⑮「IF I EVER K HEAR YOU KNOCKING ON MY DOOR」です。
この2曲は洋楽を桑田流に昇華しきれていません。
⑥はボーカルがボブ・ディランの真似の境地をでておらず、いいと思えません。
ディランを聴いたことのない人だったら尚更いいと思わないのではないでしょうか?
⑮はコーラスに再挑戦するのはいいのですが、なぜ再び全編英語にしたのでしょうか?
未だ英語詩に拘るのが分かりません。

そして私的に、このアルバムの評価を分けるのが、この3曲になります。
①「BOON BOON BOON 〜 OUR LOVE [MEDLEY]」
④「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」
⑩「DING DONG (僕だけのアイドル)」
この3曲は今までの桑田の曲には、なかったかっこよさがあるロックナンバーです。
①は久々にバンドアンサンブルの妙が光るナンバー、
④はゾクゾクするようなイントロから後半のラップへの盛り上げ方が圧巻、
⑩は桑田の曲の中でも一二のかっこよさがある(特にエンディング)ナンバー。
惜しいのが、曲のタイトルにもなっているサビの歌詞です。
もう少し引き付ける歌詞をつけることができてれば、文句なしの名曲でした。

⑪の「涙のキッス」はもちろん好きですし、
⑤「慕情」、⑯「CHRISTMAS TIME FOREVER」の佳曲バラードもいいですが、
「世に万葉の花が咲くなり」は、このロックナンバー3曲の出来が
もう少し良ければ・・・と思うアルバムです。

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