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桑田佳祐(サザン)アルバム解説⑩~1988年 Keisuke Kuwata~

サザンオールスターズ
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1987~88年リリース曲 「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」「 みんなのうた」他 アルバム「Keisuke Kuwata」

1987年10月「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」(ソロ)
1988年3月「いつか何処かで(I FEEL THE ECHO)」(ソロ)
1988年6月「みんなのうた」(サザンオールスターズ)
1988年7月「Keisuke Kuwata」(ソロアルバム)

●Keisuke Kuwata収録曲

1.哀しみのプリズナー
2.今でも君を愛してる
3.路傍の家にて
4.Dear Boys
5.ハートに無礼美人 (Get out of my Chevvy)
6.いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)
7.Big Blonde Boy
8.Blue ~こんな夜には踊れない
9.遠い街角 (The wanderin’ street)
10.悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)
11.愛撫と殺意の交差点
12.誰かの風の跡

1987~88年の桑田佳祐の活動~ソロからサザン復活へ~

1987年の桑田佳祐は、デビュー9年目にして初の大型充電期間に入ります。
昨年までは、1枚/年ペースのアルバム制作を崩しませんでしたが、
’87年はシングル1枚のみのリリースで、アルバムはリリースされませんでした。

’87年の年始に1年限定プロジェクト「KUWATA BAND」のファイナルツアーを敢行、
2月9日の東京・日本武道館で終止符を打つと、充電のため松田弘と渡米します。
そして桑田は、ニューヨークで「ホール&オーツ」との合同レコーディングを実現します。
彼らの楽曲「Real Love」のレコーディングに参加することに。

帰国後、まずソロ・プロジェクトを本格始動させます。
10月にシングル「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」を発売しました。
1988年も前年に続き、ソロ・プロジェクトとして
3月にシングル「いつか何処かで(I FEEL THE ECHO)」を発売、
7月にアルバム「Keisuke Kuwata」をリリースします。

そして、’88年はデビュー10周年のサザンオールスターズも同時進行で動いていました。
再集結したサザンは、6月25日にシングル「みんなのうた」をリリースします。
同時に過去にリリースしたアナログのシングル全てをCDにして発売、
さらに同日に全国9カ所全20公演のコンサートツアー
「サザンオールスターズ~真夏の夜の夢~1988大復活祭」のチケットも一斉発売します。
50万枚のチケットは即日完売となり、この復活劇は大ニュースとなりました。

7月26日から始まったツアーは、真夏の野外会場で
30数曲のヒットナンバーを歌いあげる大構成に大成功を収めます。
また、ツアー中盤からは桑田のソロアルバムのリリース時期と重なったことから
その収録曲から10曲ほどセットリストに入ることになりました。

10月には盟友「ホール&オーツ」が来日、
東京ドームで行われたコンサートに桑田が友情出演し、アンコールで3曲を熱唱しました。

サザン解散の危機を乗り越えた?復活劇は大成功!

「みんなのうた」は、スタジアムライブ受けする曲として、
バンド活動を復活させる曲として、申し分ない曲です。
このコンセプトを狙って創ったのでしょうが、これ以上ないくらいの出来となりました。
1988年のサザン復活ツアーは、
シングル1枚だけのリリースにも関わらず、50万人も動員しています。
サザンの活動を終えて3年後の復活、デビュー10周年というイベント性が効きました。
それもスタジアム級の会場なので効率も良く、商業的に大成功に終わりました。

これが、カウンターカルチャー的な精神性のあるロックバンドだったら
この復活劇に「金に魂を売った」などと皮肉の一つも言われたのでしょうが、
公然と「売れたい」と宣言し、活動してきたサザンだからか
この売れに売れた復活劇は、素直に喜ばしく清々しくもあります。

しかし、桑田は、この年の前半、
ソロアルバムの制作に忙しく、サザン復活の気配を全く感じさせません。
桑田はKUWATA BANDを解散させたあと、ソロ・プロジェクト活動に入った理由を
「今までバンド活動ばかりしてきた反動からそろそろ一人で活動をしてみたくなった。」
と語っており、少なくとも年頭の時点ではサザンを復活させる気はなかったようです。

大森隆志は、サザンの活動がなかった3年間をサザン解散の最大の危機だったと言っています。
このとき、大森が各メンバーを説得するなどして、バンド復活に奔走したようです。
桑田佳祐としては、まだ無理にサザンで稼ぐ必要もなかったのでしょうが、
他のメンバーにしてみれば「そうも言っていられない」と言ったところでしょうか。

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「Keisuke Kuwata」解説 ~肩の力を抜いた感があるが、実は計算されたアルバム~

「Keisuke Kuwata」は「人気者で行こう」から続く
藤井丈司がプロデュースに関わり、他に小林武史がプロデューサーに加わりました。
小林武史は、桑田と共同プロデューサーとなったことで知名度を上げることになります。
その後、Mr.Children、MY LITTLE LOVER、をプロデュースし、
ヒットさせたことでメジャーになりました。
桑田佳祐とは、1993年まで関わることになります。

このアルバムは藤井丈司が関わっているだけあって
「人気者で行こう」からの電子音路線の延長線上にあります。
加えて、小林武史の加入で、今までの桑田にはなかった楽器に対するアプローチを行い、
曲のスタイルが大幅に広がることになりました。
小林は、桑田のイメージをいくつか具現化し、
桑田はそれを選択しながら曲が創作されていったと言います。
そんな小林の仕事を桑田は「引き出すというより導き出してくれた」と絶賛しています。

桑田佳祐は、このアルバムを創った当時を振り返って、
「当時、青春期の充実や感傷のようなものを噛み締めていた頃で、
それを自覚的に音楽に反映させよようと思ったらポップスとなった。」と語っています。

なので、このアルバムはロック色の強かったKUWATA BANDのアルバムから一転
サザンの頃のポップス路線に戻っています。
とは言ってもサザンのアルバムのときのような
売れる曲を創ろうとか実験性の高い曲を創ろうみなたいな気負いは感じられない
肩の力を抜いた印象のあるアルバムです。
しかし、よくよく聴いていくと、1年近くかけて創られただけあって、
それが計算ずくで創られたと気づかされていきます。

「Keisuke Kuwata」感想~「悲しい気持ち」の魅力~

「Keisuke Kuwata」は創りこまれているからか
このアルバムの良さに気づくのに時間がかかりました。
すぐに、いいと感じたのは
①「哀しみのプリズナー」、②「今でも君を愛してる」、
⑩「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」の3曲でしたが
この3曲は、聴き込んでも色あせない魅力を持っている名曲です。

桑田佳祐は、1984年から1989年まで、
電子音を多用して’80年代の象徴のような曲をいくつも書いてきましたが、
それらの名曲群の中でも、最高傑作に推したいのが
「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」です。

「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」を聴くと
真夏の真っ青な空と真っ青な海、そして入道雲を連想します。
「BAN BAN BAN」では、ヴォーカルにエコーをかけることで、
遠くの風景(真夏の入道雲)を連想させました。
「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」は、この手法を進化させています。
「BAN BAN BAN」のヴォーカルのエコーは、少しあざとさを感じますが、
この曲は、さりげなくエコーが挿入され、エコーの表現にも奥深さがあります。
それが真夏の入道雲を連想させると同時に、感傷的にもさせます。
この曲のサビのエコーは聴き入れば聴き入るほど、
真夏の質感と青い風景に浸る魅力を持っています。

桑田は、この頃「青春期の充実や感傷のようなものを噛み締めていた」
と言っていますが、「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」は
見事にそれを表現しています。

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