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サザンオールスターズ アルバム解説⑦~1984年 人気者で行こう~

サザンオールスターズ
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1984年リリース曲 ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY) 他 アルバム「人気者で行こう」

6月 ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)
7月 人気者で行こう(アルバム)
10月 Tarako

人気者で行こう 収録曲
1.JAPANEGGAE (ジャパネゲエ)
2.よどみ萎え、枯れて舞え
3.ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)
4.開きっ放しのマシュルーム
5.あっという間の夢のTONIGHT
6.シャボン
7.海
8.夕方 Hold On Me
9.女のカッパ
10.メリケン情緒は涙のカラー
11.なんば君の事務所
12.祭はラッパッパ
13.Dear John

「人気者で行こう」の成功は、サザン人気を不動にさせた!?

1984年のサザンオールスターズの活動は
まず、年頭にニッポン放送「オールナイトニッポン」に
桑田佳祐がパーソナリティーに抜擢されます。
さらに、日本テレビ系でテレビの冠番組を持つことになります。
4月より音楽バラエティー番組「サザンの勝手にナイト あ!う〇こついてる」がスタートします。
サザンのメンバーは音楽だけでなく三宅裕司、小倉久寛とコントに挑戦しました。

例年通り、夏に楽曲(6月にシングル、7月にアルバム)を
リリースすると、サザンとしては初の野外スタジアムツアーを敢行します。
このライブツアー「熱帯絶命!ツアー夏“出席とります”」は、
全国5都市で全6回、16万人を動員しました。

9月には、ロサンゼルスに約1ヶ月滞在し、
ライブの練習合宿とシングルのレコーディングを行います。
10月には、そこで録音された「Tarako」をリリースします。
そして、10月から2月まで
再び、コンサートツアー「大衆音楽取締法違反『やっぱりあいつはクロだった!』~実刑判決2月まで~」を実施しています。

1984年のサザンオールスターズは、
「ミス・ブランニュー・デイ」が27.8万枚で、この年の売り上げランキングでは36位。
全て英語歌詞という実験的要素の強い「Tarako」は12.5万枚。
アルバム「人気者で行こう」は、オリコン年間アルバムランキングで、邦楽では1位を記録しています。
洋楽も入れると3位で、74.6万枚を売り上げました。

売り上げでみると前年とさほど変わらないように思えます。
サザンの安定した人気ぶりは、クオリティの高い楽曲の創作を
毎年地道に積み重ねてきた結果が表面化したともとれますが、
「ミス・ブランニュー・デイ」が収録された
アルバム「人気者で行こう」の評価が良かったことも起因して、
この年からサザンオールスターズの人気は不動になりつつありました。

「人気者で行こう」は当時のヒット曲と比べて先進的であったか!?

「人気者で行こう」の楽曲は、コンピューター(シンセサイザー)を多用しており、
この年のヒット曲と比べても実験性の高いものでした。
実験性のある楽曲にも関わらず人気を得たことは、
時代を切り開いたといっても言い過ぎではありません。
このアルバム以降、日本のポップ音楽シーンは、
同じようなアプローチで制作されることが常態化していきます。

コンピューター(シンセサイザー)を多用したことが、新しかったと言っても、
このような曲は10年くらい前からあり、既に日本のヒット曲にも使われていました。

1970年代後半、シンセサイザーという電子音を複雑に組み合わせて曲を成立させた
テクノ・ポップというジャンルの音楽が出現します。
日本では、1978年にYMOがデビュー!テクノ・ポップの代表格でした。
(YMOの音楽は世界的にも最先端で、日本で彼らは追随を許しませんでした。)
「人気者で行こう」が発売された1984年になると
シンセサイザーで曲を創ることは珍しくなくなっていて、
シンセサイザーの音をメインにしたテクノ・ポップは流行遅れになっていました。

当時、アメリカで人気があったのは、TOTO、Journeyなどのバンドです。
彼らは莫大なセールスを記録しており、
彼らの音楽は、後にそのセールスから産業ロックと呼ばれることになります。
彼らの音楽は、ボーカルは高音、万人受けするメロディ、
シンセサイザーを使って音全体に厚みがありました。

「人気者で行こう」は、シンセサイザーを使ってはいますが、
YMOなどのテクノ・ポップというよりは産業ロックに近い音です。
サザンオールスターズは、日本におけるテクノ・ポップの先駆者ではなく、
産業ロック的な音を創った先駆者であったと言えます。
産業ロックは世界中で売れたという実績があり、
ここで、サザンオールスターズは、自分たちが目指す音楽が
万人受けする音楽と合致することになりました。

だからと言って、実験的アルバムを創ってヒットに恵まれなかった過去もあり、
再びセールスで失敗する可能性もあり得ました。
結果は、前向きな姿勢が成功に導くことになります。
文字通り「人気者で行こう」というコンセプトで大成功を果たしたことになります。

このアルバムで芸術性と大衆性の二つを獲得したサザンオールスターズは
以後、不動の人気を保つようになっていきます。
夏にリリースすれば必ず売れると言われるようになり、
さらには、国民的バンドと呼ばれるようになって行きます。

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「人気者で行こう」解説 ~サザン史上、最高傑作とも言われる理由~

「人気者で行こう」は、サザンが求める音楽性と
世間がサザンに期待する音楽性が共存した初めてのアルバムとなりました。
言い換えると、革新的な音楽性を保ちつつ、売れる要素が詰まったアルバムということになります。
桑田佳祐は、売れた「10ナンバーズ・からっと」、「NUDE MAN」を評価していません。
この2枚は、売れるために振り切って創ったため、実験性の薄いアルバムになってしまいました。
そのことが評価を低くしているのでしょうが、実験性を高くすると売れなくなってしまいます。
その問題を解決したのが「人気者で行こう」となります。
高い音楽性の追求(実験性のある)と売れる要素、二つの要素を兼ね備えることに成功しました。

桑田佳祐は、このアルバムでの新たな試みとしてコンピューターサウンドの導入を選んでいます。
前作のアルバム「綺麗」では、多様な実験性が見られました。
特にワールド・ミュージックとの融合はデビューからのテーマで
「綺麗」でも、そのテーマに十二分に挑戦しています。
なぜ「人気者で行こう」でのテーマにコンピューターサウンドを選んだのでしょうか?
それは、前作「綺麗」の出来にあったようです。
桑田は、アメリカの有名なミックスエンジニア、ボブ・クリアマウンテンに
「綺麗」を貧弱な音と言われ、それを脱却するための手段を考えたと言います。
「綺麗」以上の作品を創るために、コンピューターサウンドを導入し、
産業ロックのように音に厚みを持たせることに挑戦したのです。

このアルバムが凄いところは、産業ロックのテイストを導入したことで
都会的サウンドを確立したことです。
それは、「チャコの海岸物語」で成功した
歌謡曲的な日本の田舎っぽさを捨てることになりました。
今聴くと古臭く感じる人もいるかもしれませんが、当時は最先端の音だったと想像します。

音だけでなく歌詞にも変化が見られます。
①の「JAPANEGGAE (ジャパネゲエ)」に出てくる「愛苦ねば」の歌詞は
普通に聴くと「I could never」と聞こえますが、
英語読みするよりも難しい「愛苦ねば」と読ませています。
⑧の「夕方 Hold On Me」の「夕方」も文法上合っているのは「You’ve gotta」の方で、
発音も「You’ve gotta」と言っていますが、夕方と読ませています。

「人気者で行こう」感想 ~「ミス・ブランニュー・デイ」の評価~

「人気者で行こう」がサザン史上の最高傑作と言われるのは、
捨て曲がなく、シングル(含め)クラスの曲も
「ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)」
「シャボン」、「海」、「夕方 Hold On Me」、
と入っているのも理由の一つと思われます。
しかし、最もな理由は
「ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)」の出来にあると思われます。
その出来とは、それまでにない新しい曲であったこと、
単純に聴いて素晴らしいと思える曲であったことが評価されているのだと思います。

この曲は、シンセサイザー(コンピューターサウンド)による
イントロのリフが印象的で、このリフが曲全体を構成しています。
このイントロから聴けるリフが素晴らしく、曲のイメージを決定づけ、
’80年代を象徴する音となったと思います。
(歌詞も’80年代の日本を言い表しています。)
今、このシンセサイザーのイントロを聴いても、それ程までには古臭く感じないので
当時は、想像する以上に新しい音に聴こえたのではないでしょうか?

しかし、それだけはないか?というのが私の感想です。
この曲はビートルズの「I Am the Walrus」に似たノリを体現しており、
「I Am the Walrus」をテクノにしたら?というコンセプトで創られたのではないか?と想像します。
それはいいのですが、問題はボーカルラインが「I Am the Walrus」のようにノレないことです。
(演奏は素晴らしく、歌を聴かせるタイプの曲にしなければ良かったのにと思います。)
桑田佳祐はリリース直前までシングルに「海」を考えていたといいますが
その理由もなんとく分かります。
歌詞もメガティブな印象を受けてしまうし、評価されているほど名曲には感じません。

1994年夏、桑田佳祐がモデルか何かの女の子二人をクルーザーに連れて
湘南の海にでて、生演奏するというラジオ特番がありました。
その女の子二人のサザンの好きな曲は「真夏の果実」と「ミス・ブランニュー・デイ 」でした。
そのときは、ミス・ブランニュー・デイなんて、地味な曲が好きなんだなあ、と思ったものでした。
おそらく、その女の子は二人ともリアルタイムで体験した曲を選んだと想像します。
今、このことを振り返ると「ミス・ブランニュー・デイ 」は、
リアルタイムで聴いた人に、印象的で思い出深くさせる名曲の一つなんだと認識させられます。

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