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サザンオールスターズ アルバム解説⑤~1982年 NUDE MAN~

サザンオールスターズ
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1982年リリース曲 チャコの海岸物語、YaYa(あの時代を忘れない)他 アルバム「NUDE MAN」

1月  チャコの海岸物語
5月  匂艶 THE NIGHT CLUB
7月  NUDE MAN(アルバム)
10月 YaYa(あの時代を忘れない)

NUDE MAN 収録曲
1.DJ・コービーの伝説
2.思い出のスター・ダスト
3.夏をあきらめて
4.流れる雲を追いかけて
5.匂艶 THE NIGHT CLUB
6.逢いたさ見たさ病める My Mind
7.PLASTIC SUPER STAR (LIVE IN BETTER DAYS)
8.Oh! クラウディア
9.女流詩人の哀歌
10.NUDE MAN
11.猫
12.来いなジャマイカ
13.Just A Little Bit

1982年 売れるサザンが戻ってきた!

1982年のサザンオールスターズの方針は
「売れたい!」に尽きる!ということであったようです。
’80年~81年はスタジオ録音に主軸を置いたはいいけど
テレビに出ていた時代と比べると売れなくなってしまった。
それで、デビュー当時(’78年~79年)の方針に戻ろうということになったようです。

年初からの「愛で金魚が救えるか! サザンオールスターズ PaaPooツアー’82」で
桑田佳祐が、原由子との結婚を宣言。
日も間もなく、テレビで「今年は、またテレビに出ます。」、「売れたいです。」と発言。
年頭に、この「結婚」と「売れたい」宣言をしたことで
’82年は、自ら課した目標に突っ走っていくことになります。

その結果は、
1月 チャコの海岸物語(シングル)56.9万枚
5月 匂艶 THE NIGHT CLUB(シングル)28.3万枚
7月 NUDE MAN(アルバム)96.6万枚
9月 *恋人も濡れる街角(中村雅俊・シングル)47.7万枚
9月 *夏をあきらめて(研ナオコ・シングル)37.7万枚
10月 YaYa(あの時代を忘れない)(シングル)32.2万枚
*は桑田提供曲、カバー

前年までのシングルは3~4万枚の売り上げだったので
面目躍如、充分目標を達成したことになります。
桑田は「開き直ったのが良かったみたい。」と言っていますが、
売れようと思って、その通りにやってしまうのだから、
海外を含めてもトップソングライターの一人だと思います。

82年は、狙ってヒットさせた「チャコの海岸物語」の物語!

「チャコの海岸物語」は’79年「C調言葉に御用心」以来の久々のヒットになりました。
ヒットの理由は歌謡曲に振り切ったこと。
これまで、様々なジャンルの洋楽を下地に
何とか日本の曲(自分の曲)にしようと散々試みてきましたが、
結局、支持されたのは「私はピアノ」のような歌謡曲を下地にした曲・・・?
これが歌謡曲に振り切った理由ではないかと推察します。

桑田佳祐は、この曲を三流のGS
(GS=グループサウンズ *’60年代後半に流行った日本版ロック)
のような曲に、ボーカルは田原俊彦を真似て、創ったそうです。
要するに歌謡曲パロディです。

この感覚は「勝手にシンドバッド」の曲名を
当時ヒットの沢田研二「勝手にしやがれ」とピンクレディ「渚のシンドバッド」を
パロディにした感覚と似ています。
そして、「勝手にシンドバッド」で浸透した
サザンのイメージ、夏、海、湘南、の歌詞を再活用しています。
この曲で「サザン=湘南」のイメージが定着しました。

1982年 紅白歌合戦「チャコの海岸物語」パフォーマンス

1982年は、最後も「チャコの海岸物語」で締めくくることになりました。
サザンは「チャコの海岸物語」を持って紅白歌合戦に出場を果たします。
初出場の「いとしのエリー」のときのように、ただ歌うのではなく
NHKと紅白歌合戦を小馬鹿にしたかのようなパフォーマンスで伝説になりました。

そのパフォーマンスとは、もの真似歌合戦で笑いを取るために歌うもの真似芸人そのもの。
桑田は、白組でサザンの前に歌った三波春夫をもの真似しながらチャコを歌い、
(出だしは、真面目に歌っています。)
間奏では、「我々は放送禁止もありますがNHKに出させていただいていております。
とににかく、受信料は払いましょう!」と語り、
後半は、より小馬鹿さが増し、スキップしながら、ふざけて小学生が歌うような感じで
他のメンバーと大騒ぎしながら終わります。

この既存の音楽状況に対する批判表示とも取れるパフォーマンスは
当時、ロックファンの共感を呼んだと言われています。
後追いで聴いた私には、このようなパフォーマンスは意味不明に映りましたが、
当時は、演奏側の何かしらの意志を感じたのでしょう。

このような、ふざけた感じは’80年代的とも言えます。
この曲の元々のコンセプトが、ふざけた歌謡曲であるし、
2年後、この曲のコンセプトを気に入った秋元康が
とんねるずに「雨の西麻布」という同コンセプトの曲を提供しています。

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「NUDE MAN」解説

「NUDE MAN」を
桑田佳祐は退屈なアルバムと評しています。
しかし、このアルバムは前述した通り、売れました。

出来としては、1stの「熱い胸さわぎ」と
2ndの「10ナンバーズ・からっと」を足して2で割ったような出来です。
バラードでは、「いとしのエリー」的な曲が創られ、
桑田佳祐のモテない男代表的な曲も復活しています。
そして、1stアルバムが持っていた日本的夏のイメージをより意識して創らています。
今までもサザンオールスターズは、夏や海辺をイメージさせる曲をだしてきましたが
「NUDE MAN」は、私たち日本人が住む隣町の夏や海辺をイメージさせます。
このアルバムを通して聴けば、日本の夏の情緒に浸ることができます。

新しい要素としては、ローリング・ストーンズぽい
ミドルテンポのノリのあるロックナンバーが入りました。
そして、シングルになった⑤の「匂艶 THE NIGHT CLUB」です。
この曲は、前作で挑戦した「ファンク」調な曲を
「ロック」調に、「歌謡曲」調に寄せて創られています。
この三つの要素が合い間って、かなり斬新な出来になっています。
新しい試みとしては、この数曲くらいしか見られないので
この点を桑田は退屈と評しているのかもしれません。

①の歌詞に登場するD.J.は小林克也のことで、本人の声も収録されています。
②は、1954年開業の横浜を代表する老舗バーで、
歌詞にもあるジュースボックスが今も稼働しているそうです。
④は、第二次世界大戦中の満州を歌っており、
桑田の父(満州からの引揚者)から聞いた話をもとに創られました。
⑥と⑩は松下電器(パナソニック)、⑨はユニ・チャーム、⑫は日産のCMソング。
⑦は青山学院大学の音楽サークル「BETTER DAYS」(桑田たちが在籍していた)から
数十人呼んでライブ風に制作されました。

「NUDE MAN」感想

「NUDE MAN」の楽曲は、サザン全楽曲の中で位置づけすると
いとしのエリーのようなレギュラーを取れる楽曲はないけど
ベンチ入りしている楽曲がズラリと並んでいるといった感想です。
2軍までは落ちないけど、レギュラーは取れないって感じです。

ローリング・ストーンズぽいノリの
①「DJ・コービーの伝説」、
⑦「PLASTIC SUPER STAR (LIVE IN BETTER DAYS)」は
桑田がミック・ジャガーのように歌っていていいです。
このテイストは初めての試みですが、あくまでもサザン風に徹しています。
印象的なリズムギターはなく、ストーンズ風には染めていません。

このアルバムの2大バラードとも言うべき
③「夏をあきらめて」、⑧「Oh! クラウディア」は名曲ですが
「YaYa(あの時代を忘れない)」のような大物感はありません。
原由子ボーカルの④「流れる雲を追いかけて」は
日本であり中国でもある当時(戦中)の夏の雰囲気が出ていて好きです。
しかし、やっぱりこの曲もベンチ入り的楽曲。

シングルカットされた⑤「匂艶 THE NIGHT CLUB」も好きですが
このアルバムで一番好きな曲は⑥「逢いたさ見たさ病める My Mind」です。
イントロは、当時の電話(プッシュフォン)で番号を打つ音から
プルルル~、プルルル~(呼び出し音)、ツゥー、ツゥー(通話が切れた音)と続き、
そして、桑田の「あぁぁあ~!」という明一杯のため息から始まります。
このため息が憂鬱感をかなり上手く表してて、いいです。
「祈る想いだけど、no answer 他の誰かに持ってかれちゃう」で鬱感はピークに。
本当!桑田佳祐は片思いの男性心理を描かせたら天下一品です。
最後の電話のベルが泣いているようなギターもいいです。

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