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9.サラリーマン漫画 戦後サラリーマン社会の形成 戦後日本マンガ史’45年~’50年代⑨

ニッポン戦後マンガ史(’45年~’50年代)

9.サラリーマン漫画 戦後サラリーマン社会の形成

仙人部落

星から来た男・サンワリ君・アサッテ君・ドーモ君

19世紀、日本は欧米列強に比べ貧しかった。それは明治維新で世界で唯一の近代化を成し遂げ、先進国の仲間入りを果たしても変わらなかった。そして20世紀、日本は世界一富める国アメリカに戦争を挑む。当時の日本は戦争に勝ち続け、第一次世界大戦でも戦勝国になるもGDPではアメリカの四分の一以下しかなく、結果アメリカに敗戦する。終戦直後、当然日本はさらに貧しくなるが、米ソの対立が日本に特需景気をもたらす。’50年、朝鮮を巡って米ソによる朝鮮戦争が勃発、その戦争が日本に好景気をもたらした。終戦からわずか10年後の’55年前後にはGDPが戦前を上回る。貧しかった日本は長らく豊かになりたいと思っており、この特需景気を契機に日本は経済大国への道を突き進むことになる。その経済大国になった原動力となったのがサラリーマン社会の形成であった。サラリーマン社会はブルーカラーのホワイトカラー化を成し遂げ、個性・多様さを一括りにして一億総中流という概念(希望)を日本国民に与える。豊さを実現するためにサラリーマンは努力した。必然的にそうしたサラリーマンを応援する漫画が登場し、人気を得た。

4コマ漫画 新聞掲載の4コマ
1876年、チャールズ・ワーグマン刊行の「ジャパン・パンチ」で日本で初めて4コマ漫画が掲載される。1923年、東京朝日新聞で連載された「正チャンの冒険」は初めての新聞4コマ漫画となり、同年、報知新聞で連載された4コマ漫画「のんきな父さん」は初めてふきだしの台詞だけで物語を語った。この二作はヒットし、4コマ漫画ブームが起き、「フクちゃん」などの人気作が続いた。このブームで日本のコマ漫画は、起承転結をコマごとに展開した4コマが主流となっていく。次に4コマ漫画がブームになったのは終戦間もなくで、1946年「ヤネウラ3ちゃん」、「サザエさん」が地方新聞で連載されると、’50年代には中央(東京)の大手新聞社で連載された「轟先生」、「サザエさん」、「まっぴら君」、「フクちゃん」、「ほのぼの君」、といった長期に渡り人気を得た人気作が出揃う。高度経済成長した’60年代以降は「サンワリ君」、「アサッテ君」、「フジ三太郎」、「ドーモ君」などのサラリーマンを題材にした4コマが人気を得る。しかし新聞に掲載された4コマは、多くの読者が目にするゆえに内容に公序良俗的な制約があったため、次第にテーマがマンネリ化し、キャラクターに毒も個性もない、といった現象がうまれる。’70年代後半から’80年代初期にかけて、新聞よりそうした規制がゆるい雑誌で、新しい4コマの形がうまれる。いしいひさいち、植田まさし、たちの登場によって三度、4コマ漫画ブームが起きた。

・新聞掲載の人気4コマ漫画
①朝日新聞
横山隆一「フクちゃん」(’36年~’44年)、チェック・ヤング「ブロンディ」(’49年~’51 年)、長谷川町子「サザエさん」(’51年~’74年)、サトウサンペイ「フジ三太郎」(’79年~’91年)、いしいひさいち「となりのやまだ君」’97年に「ののちゃん」に改題(’91年~)
②毎日新聞
横山隆一「ペ子ちゃん」(’48年~’49年)、横山隆一「デンスケ」(’49年~’55年)、加藤芳郎「まっぴら君」(’54年~’01年)、横山隆一「フクちゃん」(’56年~’71年)、東海林さだお「アサッテ君」(’74年~’14年)、いしかわじゅん「桜田です!」(’15年~)
③読売新聞
秋好馨「轟先生」(’51年~’54年、’55年~’73年)、西川辰美「おトラさん」(’54年~’55年)、鈴木義司「サンワリ君」(’66年~’04年)、福地泡介「OH!!ミスター」(’79年)、秋竜山「あっぱれサン」(’80年~’82年)、植田まさし「コボちゃん」(’82年~)
④その他
佃公彦「ほのぼの君」(’56年~’07年 東京新聞、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞など)、泉昭二「ジャンケンポン」(’69年~ 朝日小学生新聞)、オダシゲ「まんまる団地」(’74年~ 新聞赤旗)、西村宗「サラリ君」(’80年~’10年 産経新聞)、はらたいら「ゲンペーくん」(’81年~’83年 日本経済新聞)、福地泡介「ドーモ君」(’85年~’95年 日本経済新聞)

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大人漫画誌の始まり 週刊漫画TIMES、週刊漫画サンデーの創刊
文藝春秋の臨時増刊号として発行された「漫画読本」は爆発的ヒットを記録し、’55年に隔月発行、’58年には月刊誌として’70年まで発行される。このヒットと’56年の週刊新 潮のヒット(週刊誌ブーム)から、第二次漫画ブームが到来する。まず、’56年に日本で初めての漫画週刊誌「週刊漫画TIMES」が芳文社より創刊され る。「週刊漫画TIMES」はコマ漫画中心だった「漫画読本」とは違い、ストーリーものの指向を見せていた。ここで連載された中でも歌川大雅「小町秘 帖」、松下井知夫「星から来た男」、小島功「おとと」が人気を得た。「小町秘帖」は、大衆小説そのままの時代劇のストーリーにエロティックな絵を連続させ ていく大人版絵物語だった。「星から来た男」は、コマ漫画ではあったものの充分なストーリー性を持ち、大人向けストーリー漫画の最初の成功例となった。 「おとと」の小島功は漫画的美人画の典型を創り上げ、エロティックな女性を描いて大人漫画誌の表紙を何度も飾ることになる。ぞして、続々と大人漫画誌が創刊され る。’57年「土曜漫画」(土曜通信社)、’59年「週刊漫画サンデー」(実業之日本社)、’60年「週刊漫画天国」(芳文社)、「漫画ストーリー」(双 葉社)、’62年「漫画芸能」(新風社)、「漫画文芸」(高橋書店)、「漫画アサヒ」(ソノレコード社)、「漫画エース」(広晴社)、だ。これらは、どこ も「漫画サンデー」、「週刊漫画TIMES」の誌面を真似て創られた。高度経済成長下、サラリーマンが大衆の主役になろうとしており、どれも肩のこらな いヴィジュアル重視の構成で、サラリーマンに人気を得ていた。

’60年代の大人漫画誌 週刊漫画ゴラクの創刊
’60年代に入ると、児童漫画家の馬場のぼる、手塚治虫、山根市一二三、武内つなよし、たちが大人漫画誌に参入してくるが、多くは大人漫画のタッチに挑戦したがゆえに逆に新風を吹き込めなかったようだ。大人漫画で人気を得たのは富永一朗、小島功、松下井和夫。富永一郎は、エッチでパワフルなリズミカルなギャグでブームを巻き起こす。小島功は当時の唯一のエロテックな女性の書き手といってよく、漫画サンデーは小島の表紙絵で人気を得ていたほどだ。松下井和夫は、相変わらず大人漫画におけるストーリーものの試みを続けていた。そして、サラリーマン漫画を描く鈴木義司、サトウサンペイ、大学漫画研究会出身の福地泡介、東海林さだお、園山俊二、たちも人気を得ていく。

’60年代の大人漫画誌の人気連載をみていくと、「週刊漫画サンデー」では、杉浦幸雄「アトミックのおぼん」、富永一朗「ポンコツおやじ」、萩原賢次「忍術武士道」、サトウサンペイ「アサカゼ君」他、西川辰美、小島功、馬場のぼる、鈴木義司といったラインナップ。「週刊漫画TIMES」では、松下井和夫「ガリガリバー旅行記」、土田直敏「オリンピン子」、森哲郎「おんな太閤記」、小島功「やとわれ夫人」、馬場のぼる「ろくさん天国」他、福池泡介、はらたいら、清水崑、鈴木義司、井崎一夫、上田一平、佃公彦などのラインナップ。他の大人漫画誌も多くは二誌で挙げた漫画家による連載で、一作品1~3ページで、多数の作品が掲載された。そして’64年、相互日本文芸社より「漫画娯楽読本」が創刊された。(’68年に「漫画ゴラク」、’71年に「週刊漫画ゴラク」と改名。)小島剛夕、笠間しろう、棚下照生、月宮美兎、勝木てるお、凡天太郎、道三幸、いばら美樹、といった連載陣で、八本の連載のうち五本が時代劇だった。’70年代以降、「週刊漫画TIMES」、「週刊漫画サンデー」、「週刊漫画ゴラク」の三誌は、大人漫画誌御三家と呼ばれ、人気を得ていく。

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