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8.貸本文化と劇画の誕生 戦後日本マンガ史’45年~’50年代⑧

ニッポン戦後マンガ史(’45年~’50年代)

8.貸本文化と劇画の誕生

忍者武芸帳影丸伝

幽霊タクシー・悪魔くん・漫画家残酷物語・口が耳までさける時

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’50年代、アメリカで「ドロップ・アウト」という言葉がうまれた。戦後のアメリカに何不自由ない豊かな生活に幻滅し、不満をおぼえた人たちがいた。彼らは、与えられた人生を自ら捨て去り、終わりのない放浪の旅に出て(ドロップ・アウトし)、脱社会というまったく新しい文化を創造していくことになる。この文化は「ビートニク」または「ビート・ジェネレーション」と呼ばれ、自ら落ちこぼれることによって「落ちこぼれの生き方」を芸術にした文化であった。’57年に出版されたジャック・ケルアックの小説「オン・ザ・ロード」は、作者自身がアメリカ中を放浪して得た体験談をもと書いた私小説に近いもので、今までにない生き方を提示し、若者たちに価値観の変革をもたらした。この「ビートニク」は、ロック、ヒッピー、サイケ、ニューレフト(左翼系政治家)のルーツとなり、世界中を席巻する巨大なサブカルチャーへと発展していく。しかし、’50年代当時はアンダーグランドでマイナーな文化でしかなかった。’50年代の日本はまだ貧しく、太陽族(無軌道で不道徳な若者)のようなものはあったが、アメリカのビートニクのような文化はなかった。しかし、日本にも価値観を変革するようなアンダーグランドな文化が出現する。零細な工場で働く未組織労働者や、商店で働く店員に人気があった貸本劇画という漫画だ。

貸本 赤本から貸本ブームへ
’50年代後半、中央出版界の月刊少年誌が黄金期を迎えようとしている中、大阪から「貸本」というものが出てくる。大阪発進の出版物として赤本という低価格な単行本があったが、赤本は、物価の上昇と漫画のページ数が多くなっていったことで一冊の単価が上がって、売れ行きが鈍っていく。そこで台頭したのが低価格で漫画が読めるレンタルの漫画本「貸本」だった。’55年頃の調査では、貸本を売る貸本屋は全国に三万軒にも及び、一冊につき五十人以上が読んだと言われている。貸本の読者は、「非学生ハイティーン」だったと言われ、雑誌よりも年齢層が高く、生活水準が低かった。当時はまだ、戦争の荒廃は身近にあり、誰もが学園生活を楽しめる状況ではなかった。また、貸本漫画は月刊誌に比べると洗練されていない新人の作品というのが特徴で、熱心な漫画ファンが月刊誌を読んでしまった後の暇つぶし的側面もあったようだ。

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劇画の誕生
貸本の代表格が’56年創刊の「影」で、そこで連載されていた辰巳ヨシヒロの「幽霊タクシー」で劇画という言葉が初めて使われる。紙芝居の挿絵に描かれていた 絵物語と漫画とを合わせたような表現で、「劇画」という手塚漫画とは別物のストーリー漫画が誕生する。’59年、さい とうたかを、辰巳ヨシヒロ、たちは劇画を確立させるため「劇画工房」を結成する。翌年、劇画工房は解散してしまうが、さいとうは「さいとう・プロダクション」 を設立する。さいとうは手塚治虫の出現で、漫画でも文学、映画に劣らない高度な表現が可能であることを認識する。そうして、青年向けの高度な作品の制作するためにどうすればいいか模索して設立したのが「さいとう・プロダクション」だった。ここでさいとうは表現だけでなく、プロ漫画家の仕事のあり方を新しく提示する。背景を専門に描く人、作画資料を専門に集める人、脚本部門を設 けるなど、作業を分業化して、一人一人の才能を生かしながら負担を軽減させるやり方を編み出し、その方法で現在も人気漫画の制作を継続させることに成功し ている。

悪書追放運動と新しい表現方法の獲得
出版社は、憲法によって表現の自由が保障されている一方で、社会への影響力が大きいため、子ども教育、差別問題などの観点から表現規制をかけている。’50年代は、’51年まではGHQによる表現統制、’55年からは過激さを増した悪書追放運動の影響で、出版社は表現規制をかけていた。(当時は各地のPTA、子どもを守る会などから「悪書追放運動」という過激な書物を排斥する運動が起きており、漫画はその最たる対象として挙げられていた。)それに対して、 貸本は単価も安いかわりに作者への原稿料も安く、全国的認知度も低かったことから、中央の出版社の雑誌に比べると制約が少なく漫画家は比較的自由に描くこ とができた。その結果、比較的制約が低い劇画は、既存の漫画にはなかった新しい表現方法が出現し始め、青年(中学・高校生)向けの漫画 として人気を得ていく。

貸本劇画の名作群
この頃から漫画 史に残る名作が貸本で続々と連載し始める。’59年、白土三平が「忍者武芸帳影丸伝」を連載開始。「忍者武芸帳影丸伝」は、忍者の戦いのスピード感、残虐シーン、人物 の顔のりりしさ、忠実な風景描写、などこれまでの児童向け漫画にはない荒々しさが表現されており、白土は’60年代その作品の質と人気から劇画(青年漫 画)の象徴的存在となる。’60年には水木しげるが「墓場の鬼太郎」を、’63年には「悪魔くん」を連載開始。水木しげるは、点描で緻密に描きこまれた風 景描写で日本古来の雰囲気を表現した。’61年、永島慎二が「漫画家残酷物語」を連載し、青年読者の等身大な青年を主人公に、ありふれた日常を表現することで読者の共感を得る。’61年、 楳図かずおが「口が耳までさける 時」を発表し、恐怖漫画というジャンルをつくりあげている。他にも、園田光慶、小島剛夕、つげ 義春、らが貸本で佳作を発表している。いづれの劇画もこれまでの主流であった手塚漫画にはなかったものがあり、劇画は手塚世代以降の漫画として後に漫画業界を席巻することになるが、このときはまだアンダーグランドな世界でしか人気のない労働者やマニア向けでしかなかった。


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