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6.月刊漫画誌黄金時代② 本当にいい漫画とは? 戦後日本マンガ史’45年~’50年代⑥

ニッポン戦後マンガ史(’45年~’50年代)

6.月刊漫画誌黄金時代② 本当にいい漫画とは?

背番号0

よたろうくん・ジャジャ馬くん・くりくり投手・ポテト大将

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昭和初期にうまれた子ども向け漫画は、始まりから「子どもにとって本当にいい漫画とは?」というテーマを持っていた。それは1970年代頃まで、出版社、漫画家の間で、繰り返し議論されてきたテーマだった。1932年、人気漫画家の田河水泡、島田敬三らによって「児童漫画家協会」が発足する。この協会は、自分たちが描く漫画は子どもたちに「悪い影響を及ぼす漫画」、「下品な笑を強いる漫画」ではなく、子どもだちとっていい漫画を提供することを謳っている。それは、自らが教育の現場に入っていくことを宣言し、漫画は子どもにとっていいものだということを世間にアピールするものだった。発足後すぐに戦中に入ったため協会の活動期間は短かったようだが、この意思は戦後になっても引き継がれる。’47年に創刊された漫画少年は創刊号で、「日本の子どもたちよ漫画少年を読んで清く明るく正しく伸びよ!」と宣言した。学童社には、よい子どもを育てることが児童出版社の使命であるという真摯な考えもあったろうし、戦前からの講談社の「面白くてためになるもの」を提供するという理念も引き継いでいた。漫画では、同誌で連載された井上一雄「バット君」がその模範的漫画であり、人気もある優良漫画だった。この理念を引き継いだのが、馬場のぼる、寺田ヒロオたちであったが、時代とともに「より刺激的で娯楽性のある」漫画が多数を占め始め、「子どもにとって健全な」漫画は少なくなっていく。

野球漫画 生活漫画から対決漫画へ
’50年まで人気だった「バット君」に代表される野球漫画は、日本文化復古調のブームによって人気が低迷していたが、’50年代後半に人気が復活してくる。田中正雄「ライナーくん」(ぼくら’56年~’60年)、寺田ヒロオ「背番号0」(野球少年’56年~’60年)、関谷ひさし「ジャジャ馬くん」(冒険王’58年~’66年)、貝塚ひろし「くりくり投手」(おもしろブック’58年~’64年)、の四作品が野球漫画の代表的人気作となった。「ライナーくん」、「背番号0」は野球を舞台にしながらも日常にも趣きを置いていたが、「ジャジャ馬くん」からウエイトが野球に傾き始め、「くりくり投手」ではほぼ野球に趣きを置くという遍歴がみられる。

「ライナーくん」は、絵は手塚、ストーリーは福井の影響が見られ、講談社が創刊したぼくらの最初のヒット作となった。「背番号0」は、’60年に野球少年が休刊したあとも週刊少年サンデー、小学館の学年別学習誌、ボーイズライフ、など場を変え、12年間に渡って連載された。寺田ヒロオのライフワークともいえる人気漫画で、本当の悪い人はいないという世界観が寺田の児童漫画に対するスタンスを物語っていた。「ジャジャ馬くん」(’58年~’66年)は、初めての写実的な野球描写で人気となり、ラジオドラマ化され長嶋茂雄が出演したことで話題となった。「くりくり投手」は魔球第一号漫画として知られ、主人公とライバルとの対決という必殺技を使うことで格闘漫画のパターンを野球漫画に持ち込んだ作品。単行本になることが少なかった当時、20巻近く単行本化されるほど大ヒットとなった。

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ユーモア漫画① 笑われる少年たち
’50年代中頃、生活ユーモア漫画は、イガグリくんを始めとする熱血の格闘漫画やスピーディなテンポの探偵漫画に人気を押されていた。そこで、ユーモア漫画は面白さを「笑い」に求め、様々な演出を試みていく。当時人気のユーモア漫画は、山根一二三「ごろっぺ」(おもしろブック’56年~’57年)、前谷惟光「ロボット三等兵」(少年クラブ’58年~’62年)、山根赤鬼「よたろうくん」(少年クラブ’56年~’62年)、大友昇「日の丸くん」(日の丸’58年~’63年)で、それぞれ試みた演出をみていく。

戦前より漫画に登場する少年は「笑われる存在であってはならなかった」。戦前の漫画では、少年と共にある道化た存在は擬人化された動物たちとロボットだった。児童漫画界は、正義の心を持ち、人情があり、優しく、明るく、元気があり、賢い、少年こそ育てなければならなかった。そのため、笑う少年はいても笑われる少年はいてはならなかったのだ。「ごろっぺ」は落語的な言葉遊びで笑いを演出し、「ロボット三等兵」は(笑われる存在が主人公ということが新しかったが)笑われる存在を人間味のあるロボットとした。「日の丸くん」は、ディズニー的な非日常的ドタバタコメディを演出しており、戦後も児童漫画に笑われる少年は存在しなかった。しかし、「よたろうくん」で、笑われる少年が登場する。主人公のよたろうくんは、みんなから馬鹿にされても道化て笑われることを選び、読者へ笑いを演出した。笑われる主人公を選んだ「よたろうくん」の登場は、教育としての良質の児童漫画という枠から一歩踏み出したことを意味していた。

ユーモア漫画② 夢の少年王国の住人たち
馬場のぼるによって開かれた日常を舞台にしたユーモア漫画は、読者である少年が住む横町のような架空の町を舞台に繰り広げられていく。それは、ひょっとしたら何処かにあり得そうな世界なのだが、実際には何処にもあり得ない少年たちが夢見る世界だった。少年たちが望むものは少年らしさが全面肯定されることで、大人が子どもに要求する教育としての物語を放課後まで欲していなかった。つまり、少年たちは自分たちがしたいようにできる世界を手に入れることを夢みて、それを漫画に託したのだ。漫画は、少年たちに対する教育であることよりも少年の夢を解放し快楽を得るために機能し始めていた。こんな夢の少年王国を描いた人気作が、ムロタニ・ツネ象「ピカドンくん」(冒険王’58年~’62年)、赤塚不二夫「ナマちゃん」(まんが王’58年~’63年)、わちさんぺい「ナガシマくん」(少年’59年~’64年)、板井レンタロー「ポテト大将」(少年’59年~’67年)、だった。

これらの作品ではもう、笑われる少年は、はっきりと描き始められている。寺田ヒロオが描くような健全なる子ども向け漫画よりも子どもたちは、より刺激的な娯楽を求め始めていた。寺田が描く世界は簡単に言ってしまえば、ほのぼのとした誰も傷つかないぬるま湯的世界だったが、赤塚不二夫は「ナマちゃん」で子どもたちの現実的な生存競争の世界をも描いていく。赤塚は、「子どもがけがれもない純粋というのは嘘で、自分が有利に生きていけるよう弱い者は痛めつけるし、強い者にへつらうもの」と言った。赤塚は、漫画で子どもに世の中の厳しさ、理不尽さを提示していくこととなり、のちに寺田と赤塚の児童漫画に対するスタンスは真向から対立することになる。しかし、それが顕著に表れるのはもう少し先の話で、当時の作品群の世界観は、ほとんどの少年が共有できる「夢の少年王国」を保っていた。


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