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3.手塚治虫の登場とトキワ壮 SF漫画の誕生 戦後日本マンガ史’45年~’50年代③

ニッポン戦後マンガ史(’45年~’50年代)

3.手塚治虫の登場とトキワ壮 SF漫画の誕生

鉄腕アトム

ロストワールド、メトロポリス、来るべき世界、ジャングル大帝
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太平洋戦争が終わると、アメリカ軍(GHQ)による新しい文化が日本に流入してくる。終戦直後は、日本を統治するためにアメリカから43万人もの進駐軍が日本に滞在しており、彼らを満足させるためと、GHQの日本の統治政策からアメリカ文化が急激に日本に入ってくる。アメリカ文化は、ジャズなどの音楽から映画まで(3S政策)と、当時の日本人に衝撃を与える。この流入した文化の中に空想科学と呼ばれるSF(サイエンス・フィクション)と呼ばれるものがあり、子どもたちは宇宙や未来世界など想像を超えた異世界にひかれていく。また、日本では戦前からH・G・ウェルズの「タイム・マシン」や「宇宙戦争」、ジュール・ヴェルヌの「海底二万マイル」など海外の大人向けSF小説が子ども向けに翻訳されていた。こうした文化を吸収し、日本独自のSFを切り開いたのが手塚治虫であった。手塚は英字をイラストのように描くことで異世界を表現してみせたり、科学の便利さ、素晴らしさを表現すると同時に人間のエゴによってまぬかれた科学の弊害も描いていく。少年博士がロケットで宇宙へ旅立ち古の世界に到着する「ロストワールド」(’48年発行)、人造人間がロボットたちを率いて人間社会に反乱を起こす「メトロポリス」(’49年)、核実験の影響で生態系が破壊され地球最後の日がせまってくる「来るべき世界」(’51年)、この手塚治虫のSF三部作と呼ばれる作品は、敗戦直後の日本で新しい価値観を子どもたちに与え、異世界の象徴となって子どもたちの心をとらえた。

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手塚治虫の登場(赤本時代) 「新宝島」の衝撃
戦後日本の漫画の隆盛は、ストーリーを高度に語れる手塚治虫の登場で幕を開けたといってもいい。手塚は’47年、医学専門部に通う学生時代に「新宝島」を赤本で発表する。これが40万部という当時とし ては異例のヒットを記録する。「新宝島」は、戦後初めて関西で出版された単行本であるともに、戦後初のベストセラーとなり、発行自体に歴史的価値があるものであるが、驚嘆すべきはその内容である。人物の心理描写、奥行のある構図 など、これまでの漫画と比べ飛躍的な表現の進歩が見られる。最大の衝撃は、日本で初めての200ページにも渡る長編ストーリー漫画だったということで、漫画で高度な物語を語れることを提示し、漫画の可能性をみた読者の中から多数の漫画家志望者をうむことになる。しかし「新宝島」の衝撃は、戦中、戦後の混乱で発生した先進的な漫画の空白期間を経て、突然現れたという事情も大きく、本当の意味での手塚の革新性は「新宝島」以後の作品群で発揮されていく。手塚は「新宝島」のヒットを受け、赤本でSF三部作を発表、他にも秘境冒険もの、西部劇など多数の作品を赤本で発表していく。これらの作品群は、先に述べた漫画表現の革新性の他に、コマに大小をつけ、ズームイン、アップ、ロング、モブシーンを取り入れるなど、映画的表現方法を獲得して表現の幅を広げ、ストーリー漫画を確立させ、人気を不動にした。

手塚治虫 雑誌連載へ
手塚は赤本の執筆と並行して東京の出版社に持ち込みをしている。しかし、当初は連載獲得に苦戦する。当時の漫画は4コマ形式のようなコマを均等に割っていく読み切りしかなく、手塚が描く長編ストーリー漫画は東京の出版社には理解されなかった。それを最初に理解し、採用を英断したのが学童社であった。’50年、学童社の漫画少年で、初めての長編ストーリー漫画の雑誌連載となった「ジャングル大帝」が連載開始される。出版界の予想に反して「ジャングル大帝」はヒットし、このヒットを皮切りに手塚は東京の出版社で次々とヒット作を連載させていく。’51年に は光文社の少年で「アトム大使」(鉄腕アトムの前身漫画で’63年に日本初のTV放送アニメとなる)を、’53年には講談社の少女クラブで初めての少女漫画となる「リボンの騎士」を、そして児童漫画の第一人者でありながら青年向け漫画の先駆けともいえる「火の鳥」を’54年の時点で漫画少年に連載している。多くの漫画雑誌に連載を抱える超売れっ子漫画家となって、’53年の長者番付の画家の部門でトップになるまで成功を収める。手塚にとって東京の出版社での連載は日本中にその人気を広めたが、悩まさせる一面もあった。自由に描けた赤本時代と違い、中央の出版物となると子ども教育という側面もあり自身の思うように描けなくなる。一部のインテリ読者の中には、中央(東京)進出後の手塚は堕落してしまったと評する人もいたようだが、このことが読み手を意識する漫画家へと成長させ、子ども向け漫画家として高い評価を得るきっかけにもなった。

トキワ壮の漫画家たち
漫画産業において手塚治虫の功績は計り知れない。しばらくすると手塚漫画に強く影響された若者たちが手塚に続けと漫画家を目指し、上京してくる。有名なトキワ壮出身の漫画家たちだ。「漫画少年」を発行していた学童社は自社の連載を持つ漫画家達をトキワ荘というアパートへ入居させる。その代表格が、手塚治虫、寺田ヒロオである。そして、手塚に影響され 漫画家を目指し上京して来た藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子、らが次々入居するとトキワ荘は漫画家たちのサロンのようになって、つのだじろう、永島慎二らもトキワ荘に出入りするようになる。(彼らが入居したときは、手塚はすでに退居していた)彼らは、しばらくするとそれぞれが日本を代表する漫画家に成長するが、これだけの才能ある漫画家たちが一同にトキワ荘に集まった背景には、寺田ヒロオの思惑があったからだと言われている。寺田はトキワ壮のリーダー的存在で、新人漫画家同志が切磋琢磨できる環境をつくりたいという思いがあった。トキワ荘に空き部屋ができると寺田は自身が担当していた「漫画少年」の投稿欄「漫画つうしんぼ」の中で優秀な成績を収めている漫画家志望者に同居をすすめたと言われている。’55年、寺田はトキワ壮の漫画家を中心とした新漫画党を結成する。将来の可能性を夢見る彼らが、しばらく漫画界を席巻していくことになる。


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