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1.終戦直後の漫画界 大人漫画の潮流 戦後日本マンガ史’45年~’50年代①

ニッポン戦後マンガ史(’45年~’50年代)

1.終戦直後の漫画界 大人漫画の潮流 

サザエさん
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フクちゃん、轟先生、プーサン、軽風流物白書
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フクちゃん
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轟先生
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まんが交遊録
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1937年、盧溝橋事件を契機に日中戦争が勃発、日本は戦争へと突入する。
1940年、臨戦態勢が強まってくると漫画家たちも一つの団体に結集せざるを得ない状況に追い込まれ、自主的に団体を結集し始める。
団体の主な活動は、機関誌「漫画」の刊行、大政翼賛会より要請された献納漫画への協力、政府の戦争政策を国民により徹底するための教宣漫画を描いていくことであった。

そして1941年12月、太平洋戦争が勃発、漫画家たちはさらに戦争政策に協力していくことになる。
漫画家たちは報道班員として外地(中国、ジャワ島など)に派遣され、敵に対する宣伝工作、謀略を目的としたビラの作成などに従事した。
戦争が激しくなると戦死者も出るようになる。

この戦時中、日本には100人ほどの漫画家がおり、そのほとんどが国策の宣伝マンとして戦争と関わりを持っていたと言われる。
彼らは根っからの漫画好きで漫画が描けるのであれば、時流にのったものを喜んで描いた。
国策に反対し、断筆して疎開する者は少数だったが、次第に日本の敗戦が濃厚となり、本土が火の海になる頃には漫画家たちも疎開した。

1945年の前半には、漫画が出版されることは、ほとんどなくなっていた。
漫画家たちは出兵、疎開し、紙の供給制限で 新聞が娯楽にさけるスペースはなく、アメリカ軍による空襲で印刷所が消失するなどで、漫画を供給すること自体が非常に困難な状況であった。
そして8月15日、戦争が終わった。

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終戦直後の漫画界

8月15日に戦争が終わると、早くも2週間後に漫画社による漫画雑誌「漫画」が復刊される。
「漫画」は、秋好馨「轟先生」、南義郎「頑張り父娘」、横山隆一「フクチャンマンガ」などが連載され、ヒットした。

そして、’46年には大阪新聞で連載が始まった南部正太郎「ヤネウラ3ちゃん」、夕刊フクニチで連載が始まった長谷川町子「サザエさん」が人気を得た。
この二作は、敗戦直後という状況の中、庶民の生活を明るく描き、国民に希望を与えた。
特に「サザエさん」は’69年にテレビアニメが放送されてから現在まで途切れることなく放映されている国民的な長寿番組となっている。

諷刺漫画ブーム

戦後間もないこの時代、国民はほとんどが貧しく、政治に対して不満を持ち、未来に不安を抱いていた。
こんな時代に対応するように漫画家たちは、心底笑える 諷刺に目を開き、「真相」(人民社’46年創刊)、「クマンバチ」(書店赤い星’47年)などで描かれた社会諷刺漫画がブームとなる。
但し、当時の日本は GHQ支配下で、漫画雑誌はGHQの検閲を受けており、GHQ最高司令官マッカーサーの諷刺は皆無であった。
変わって諷刺の対象になったのは昭和天皇で、 日本国内で天皇・皇室が大々的に諷刺されたのは自由民権運動期とこのGHQ支配期だけであった。
戦後の混乱期の貧しい時代だからこそ、わずかなお金で楽しめる漫画で、安らぎあるいは日頃の不満・不安のはけ口としたのだろうか、こうして’46年~’48にかけて漫画雑誌の創刊ラッシュ(第一次漫画ブーム)が起きた。

横山泰三の登場

横山泰三はフクちゃんの作者横山隆一の弟で、代表作は毎日新聞の大阪版や週刊新潮で連載された「プーサン」(’51年~’89年)、彼は戦後漫画の表現史において影響力の大きい漫画家となった。
横山泰三の登場以前は丹念に描かれた黒っぽい漫画だったのに対し、泰三漫画は簡略に描かれた白っぽいスタイルで、以後の大衆誌(大人漫画)に寄稿する漫画家は泰三の影響を受けていく。
このスタイルは量産に向いているため多忙な漫画家によって都合がよかった。
泰三はきたる第二次漫画ブーム(漫画の量産化)の下地をつくったが反面、絵に迫力を持たせてテーマの訴求力を表現してきた政治や社会を諷刺する一枚絵(カートゥーン)を軽いものにしてしまった。

社会諷刺から風俗漫画へ 漫画読本のヒット

米ソの冷戦は日に日に激化し、’50年に朝鮮戦争が勃発するとGHQによるレッドパージ(赤狩り)が始まり、漫画界は窮地に追い込まれてしまう。
「漫画」が’51年1月に休刊したことを皮切りに諷刺を中心とした漫画出版界は沈静化していく。
その後、’51年のサンフランシスコ講和条約により日本は主権を回復、朝鮮戦争による特需景気などにより高度経済成長時代へと突入し、政治の安定と経済の発展ととともに社会・政治批判の諷刺漫画はさらに減っていく。

諷刺漫画に代わっていったのが、風俗漫画であった。
経済発展に伴い日本人の生活にゆとりが出始めたものの貧富の差がある社会になってゆく。
そうした風俗的な悲喜劇を題材に娯楽的に描かれた新たな漫画(風俗漫画)がブームとなっていった。
その火付け役となったのが’54年に創刊された「文藝春秋臨時増刊 漫画読本」で、風俗漫画を連載させて最高発行部数は30万部に登った。
漫画読本では、杉浦幸雄「軽風流物白書」、佐藤六郎「動物記」、服部みちを「夫婦百景」、などの傑作が当時の風俗世相を活写、諷刺した。

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